# Causticの作者が帰ってきた日 > 伝説のモバイルDAW開発者がRedditに再登場し、「やめた理由」と「それでも完全には諦めない」気持ちを正直に語った。 **Published by:** [Genx Notes](https://paragraph.com/@genxnotes/) **Published on:** 2025-12-19 **Categories:** caustic **URL:** https://paragraph.com/@genxnotes/caustic-dev-ama-rej-returns ## Content Causticの作者が、突然Redditに帰ってきた。もう二度と更新されない「伝説のスマホDAW」のはずだったその背後から、開発者本人が出てきて、静かに事情を語り始めた。伝説のアプリの作者が、ひょっこり現れた日2025年9月、「Caustic Dev AMA」というスレッドがr/Caustic3に立った。新しいアカウントから「Rej here.」と始まるその投稿は、長らく音信不通だったCausticの作者による、突然の"生存報告"だった。 もう更新は止まった。 Playストアからもアプリは消えた。 公式サイトも消え、フォーラムも閉鎖された。 だからこそ、「本物の作者が、コミュニティの前に帰ってきた」という出来事は、多くのユーザーを驚かせた。そしてスレッドの中でRejは、Causticが止まった理由、Google Playから撤退した経緯、オープンソースにしない理由、そして「完全には諦めていない」という揺れまで、かなり率直に語っている。なぜCausticは3.2で止まったのかRejはまず、「3.2以降もまったく何もしていないわけではない」と認める。3.2のあとも、次のバージョンに向けたコードはいくつも触ってきたし、最近は64bit版もコンパイルできたと追記している。 それでも、正式な新バージョンを出してこなかった理由として、彼はこんなことを挙げている。3.2の開発には1年以上かかったのに、売上はほとんど増えなかった。すでに「欲しい人には行き渡っていた」状態で、ビジネスとしての伸びしろはほぼなかった。海賊版が主流になり、実際には購入履歴のないユーザーからのサポート依頼メールが大量に届いた。「盗んでいるくせにサポートを要求される」理不尽さが、精神的にかなり堪えたことも正直に書いている。情熱はあっても、ビジネスとしての見返りはほぼない。しかも、ユーザー数が増えたことで、「機能リクエストの嵐」「互いに矛盾する期待」を一人で受け止める状況になっていく。"I felt I needed to please everyone, but never could." (みんなを満足させないといけない気がしていたけど、どうやっても無理だった)この一文には、インディー開発者の「規模が大きくなった副作用」が凝縮されている。Google Playからの撤退と「構造」に潰される個人さらに彼を追い詰めたのが、GoogleとAndroidの"構造的な変化"だった。古い「Single Cell Software」名義の開発者アカウントが、「法人情報の整備」の流れの中でややこしい移行手続きを求められた。新アカウントを自分名義で作り直し、アプリを全部リネームして、権利を移管して、また元の名前に戻して...という、信じがたい手順を要求される。その時点での収益は月40ドル程度。何往復もサポートとやり取りし、面倒な移管作業をしてまで維持する価値を見いだせず、アカウントを削除する決断をした。技術面でも、Androidのストレージ仕様変更やSDKのアップデートが、古いアプリに大規模な書き換えを強要する。かつて「自由でオープン」と宣伝されていたファイルアクセスは、少しずつ制限され、Causticのようなアプリは"大手の都合"に翻弄される立場に追いやられた。 その結果として、 「もうGoogleと付き合ってまで続ける意味はない」 というラインを、ある日Rejは静かに跨いでしまったのだと思う。コミュニティが「最高の場所」から「冷たくて嫌な場所」になるときもう一つ、彼が正直に語っていたのがコミュニティ運営の疲弊だ。 Causticの公式フォーラムは、初期にはコラボやプリセットの共有、互いのトラックへのフィードバックなどが行き交う、とても温かい場所だったという。しかし年月が経つにつれ、ハッキング、荒らし、ユーザー同士の喧嘩などが増え、「冷たくて嫌な空気」の場所になってしまった。 Rejは「自分はモデレーターでもなく、ウェブ開発者でもない」と言う。それでも、攻撃からコミュニティを守る役割を、一人の個人として引き受けざるを得ない状態が続いた。 これは、音楽の世界でも見覚えのある光景だ。フォロワーが増えるほど、理不尽なクレーム嫌がらせのメッセージ「これをしてくれ」「あれをしてくれ」という一方的な要求が混ざってくる。 自分も、ブログへの嫌がらせメールや、ビートへの心ない批判メッセージを受け取ったことがある。一人ひとりに向き合おうとするほど、規模が大きくなったときの「人の多さ」が、じわじわと重荷になってくる感覚は、とても他人事ではない。「オープンソースにしない」こともまた、ひとつの自己防衛ユーザーからは当然のように、「じゃあオープンソースにしてくれないか」という質問も飛んだ。それに対してRejは、かなり感情のこもった形で「NO」に近い回答をしている。これは自分の何千時間もの喜びと苦しみの結晶で、タダで渡したくない誰かに「その義務がある」と言われることに、強い違和感と怒りを覚えるしかも、コードは最適化と工夫の塊で、他人が見たら「汚い」と笑われるようなものだろう、と自嘲気味に語る特に印象的なのは、彼がパフォーマンス最適化を「パズルを解くような喜び」と表現している点だ。その喜びのために、あえてベストプラクティスを外し、CPUを60%使っていた処理を数%にまで削る工夫を積み重ねてきた。 その過程は、他の開発者が自分の頭で苦労して辿り着くべきものであって、「答えだけ」を渡すのは違う、そう感じているのだろう。 この態度は、音楽制作にも通じる。苦労して作ったビートのプロジェクトファイルを、全部テンプレとして配るか完成した音源だけを世に出し、「どう作るか」の部分は自分の領域として守るかどこまで公開し、どこから先を「自分だけの汗と涙」にするかは、それぞれのクリエイターの線引きだ。「完全には諦めていない」という揺れそれでもRejは、最初の質問にこう答える。Q: "Will there ever be a Caustic 3.3, 4, 5, etc?" A: Maybe, but don't count on it. (もしかしたら。でも、期待はしないでほしい)完全な「No」ではない。 でも、「Yes」とも言わない。 3.2以降も少しずつコードに触れてきたこと、64bit版のビルドに成功したことを明かしながらも、「今さら大きなアップデートを出しても期待値に追いつけないかもしれない」というプレッシャーも語る。 個人的には、この「揺れ」がとても人間らしくて、同時に痛ましい。 自分自身も、一度「フリーBGMの世界」から距離を取ったりRouteNoteから全削除したり昔のBandcampやSoundCloudアカウントを、フォロワーごと消してしまったり何度も「終わらせる」選択をしてきた。 にもかかわらず、完全に音楽を諦めたわけではない。Faircampで自前カタログを作ったり、新しい配信やライセンスの形を試したり、「別の形なら続けられるかもしれない」と模索する自分がいる。 Rejの「Maybe, but don't count on it.」は、自分の中にもある「たぶんやらない。でも、完全に諦めたと言い切るのは嘘になる」という感覚に、とても近い。Saving Causticと「ブランドを守る」ということAMAの中でRejは、「Saving Caustic」プロジェクトについても触れている。これは、Causticの精神を受け継ぐ新しいDAWを作ろうとするコミュニティ主導の試みで、彼はこれに対して「クールだと思うし、成功してほしい」と前向きなコメントをしている。 ただし、ひとつだけはっきりとお願いしている。「Caustic」という名前や、そのシンセ名をそのまま使わないでほしい自分もReason / ReBirthに影響を受けてCausticを作ったが、ブランド名は使わなかったし、ずっと自分の名前を積み上げてきた新しいソフトは新しい名前でやってほしい誰かの作品に影響を受けて、自分なりのものを作ること。そして、自分の作品・自分の名前を守りたいと思うこと。 この二つは矛盾しない。音楽の世界でも、○○ type beatを作りつつ、自分の名義で出す尊敬しているアーティストのイズムを取り入れつつ、コピーではなく自分の作品として出すということは日常的に行われている。 Causticの作者が、自分のブランド名を守ろうとすることに、強欲さは感じない。 むしろ、「たった一人でここまで積み上げてきた"看板"を、別の誰かの都合だけで混同されたくない」という、ささやかな尊厳の表明だと思う。「消えたあとに、ようやく届く感謝」の切なさAMA の最後で、Rejはこんなことを書いている。"It sucks that I read way more positive stuff about my app now that it's gone than I ever did when it was around…" (アプリが存在していた頃より、消えた今のほうが、ずっと多くのポジティブな言葉を目にするっていうのが、なんともやるせない)これもまた、創作の世界ではよく起こる現象だ。無料で配布しているときには、当たり前のように使われるだけサービスが終わってから、「あれが自分の人生を変えてくれた」と言われるでも、それはきっと仕方のないことでもある。そこに"当たり前に存在している"あいだは、そのありがたさには気づきにくい失われてから、はじめてその価値に気づく人間の感性のクセと言ってしまえばそれまでだけれど、作った側からすれば、どうしても胸が痛むポイントだ。それでも、「完全な終わり」ではないCausticは、もう公式には配布されていない。Google Play にもいないし、新しいバージョンが出る保証もない。 それでも、Windows版は今も動く環境がある有志が保存・再配布を模索しているSaving Causticのような後継プロジェクトも動き始めているそして何より、作者本人がAMAで顔を出して、自分の言葉で、やめた理由と今の気持ちを説明してくれたオープンソースや名称利用について、はっきり自分のスタンスを示した「Maybe, but don't count on it.」と言いつつも、「完全に諦めた」とは言わなかったという事実は、Causticというソフトウェアが、まだどこかで"生きている"ことを示しているように思う。 このAMAを読んで、自分が真っ先に思い出したのは、過去に勢いで消してしまった自分の音楽アカウントたちだった。消してしまったものは、もう元の形では戻らない。それでも、「別の形ならまだ続けられるかもしれない」と思う余地は、いつだってどこかに残っている。 Causticの作者がRedditに現れて、コミュニティに向けて静かに語った一連の言葉は、インディー開発者インディー音楽家小さく何かを作り続けている人みんなにとって、「どこで線を引くか」「どこまで守るか」「どこまで開くか」を考え直すきっかけになる出来事だと思う。 そして、もしあなたがCausticに何かをもらったことがあるなら、今さらでいいので、どこかでRejに届く形で、「あのアプリが自分の音楽を変えてくれた」と一言残しておいてほしい。それはきっと、「消えてから届く感謝」の、少しだけ優しいバージョンになるはずだから。 ## Publication Information - [Genx Notes](https://paragraph.com/@genxnotes/): Publication homepage - [All Posts](https://paragraph.com/@genxnotes/): More posts from this publication - [RSS Feed](https://api.paragraph.com/blogs/rss/@genxnotes): Subscribe to updates - [Twitter](https://twitter.com/genxnotes): Follow on Twitter - [Farcaster](https://farcaster.xyz/genxnotes.eth): Follow on Farcaster