# AIがあっても、ビート制作をやめない理由 > 完全手打ち曲とSunoカバー・サンプル、そのあいだで揺れ続けるビートメイカーの記録 **Published by:** [Genx Notes](https://paragraph.com/@genxnotes/) **Published on:** 2026-02-24 **Categories:** ビート制作 **URL:** https://paragraph.com/@genxnotes/why-make-music-in-ai-era ## Content AIが当たり前になってから、「自分が音楽をやる意味」について考えることが増えた。Sunoにプロンプトを入れれば、一瞬でそれっぽいビートやBGMが出てくるし、自分で作ったトラックをaudio inputとして入れると、「ワイ、天才」と思ってしまうような仕上がりで返ってくる。その一方で、AbletonやGadgetでゼロからビートを作っているときには、「こんなんじゃダメだよな」と自分にダメ出ししてしまう自分もいる。 AIがいるからこそ救われている部分と、AIのせいで自信を削られているように感じる部分。その両方を抱えたまま、「AI時代に、私が音を出す意味って何だろう?」という問いと付き合っている。動機はただひとつ。「暇を感じないようにするため」よくクリエイターは、「なぜそれを作るのか」「誰に届けたいのか」と問われる。でも、今の自分の答えはすごくシンプルだ。なぜ作るのか? → 暇を感じないようにするため。誰の心に、どう届けたいのか? → 自分の心に届ける。ジムで自転車を漕いでいるときに、最初から最後までノンストップで流せる、自分用のインストアルバムとして。つまり、まずは「自分の時間を、自分の音で埋めるため」に作っている。再生数や評価よりも、「今この瞬間、どんな音の中で生きていたいか」が動機になっている。 AIがどれだけ音楽を自動生成できるようになっても、「どの音と一緒に過ごしたいか」を決めるのは自分だ。その選択権がある限り、音楽をやる意味はちゃんと残る。私のワークフローは、すでに"濃いハイブリッド"だった「AIで音楽を作る」と聞くと、「全部AIに投げて終わり」というイメージが強いかもしれない。でも実際に自分がやっているのは、もっと入り組んだやり方だ。 たとえば、こんな流れがある。Sunoでループやコード進行を出すその音をKoala Samplerに入れてチョップし、自分のグルーヴでビートにするAbleton Liveで構成・アレンジを組み立てるこれは「AI → 自分」というスタートの仕方だ。AIがきっかけをくれて、自分がそれを料理する。 一方で、逆パターンもある。Ableton LiveやAbleton Note、KORG Gadgetで、完全自作のビートやループを作るその自作トラックをSunoにaudio inputとして入れて、カバー版や別バージョン、ロングミックスを生成させるこれは「自分 → AI」という始まり方だ。まず自分が土台を作り、その上にAIに違う景色を足してもらう。 だから、自分のワークフローは一方向ではなく、AI → 自分 → AI → 自分自分 → AI → 自分みたいに、状況に応じて音を行き来させながら、最後の形を決めている。AIはネタ出し・質感・別テイクの生成に強く、自分はグルーヴ、チョップの場所、曲の構成、「どのテイクを採用するか」の判断を握っている。この往復そのものが、すでにかなり"濃いハイブリッド"だと思う。それでも「完全手打ち曲」をやめない理由ここまでAIを使い倒していると、「もう全部AIでよくない?」という発想も浮かぶ。実際、自分も何度かそう思ったことがある。でも、今のところの答えはこうだ。全部自分で打たなくていいけれど、「完全手打ち曲」はこれからも必要。理由はいくつかある。自分の"原液"を濃くするため 自分でゼロから作ったビートやループは、Sunoに入れたときの「カバー元」や「種トラック」になる。この"原液"の個性が濃いほど、AIが返してくる別バージョンも、自分らしさを保ったまま化けてくれる。耳と手の感覚を維持するため ノートを打つ、サンプルをチョップする、ドラムを組む。こういう作業を続けていると、「このスネアが気持ちいい」「この休符の取り方が好き」という感覚が身体に残る。その感覚があるからこそ、AIの出した音をそのまま受け入れるのではなく、「ここからさらに自分のノリに寄せる」という判断ができる。「AIに通さなくても好き」と思える曲を持っていたいから AIカバーを聴いて「ワイ、天才」と思うのも最高だけれど、同時に、「AIなしでもこれは好き」と言える自作曲をときどき作っておくと、心の支えになる。それが、自分の中での"素の実力"みたいなものを保つ役割も果たしてくれる。だから、自分の中のルールとしては、月に何曲かは「完全手打ち縛り」で、AIを一切使わず完走させるそれとは別に、普段の制作ではSuno・Koala・Ableton・Gadgetをフル活用して、ハイブリッドな作品を量産する完全手打ち曲は、いずれAIに食わせてもいい"種"としてストックしておくこんなバランスがしっくりきている。「AIなしでは生きられない自分」と「自作を誇れる自分」面白いのは、AIと一緒にやっていると、自分の中に二人の声が出てくることだ。Sunoで自作ビートをカバーさせると、「ワイ、天才」とテンションが上がる自分逆に、AIを使わずに打ち込んでいるとき、「こんなんじゃダメだ」と自信を失う自分この二人は矛盾しているようでいて、どちらも本音だと思う。 AIは、「自分のアイデアをプロっぽく鳴らす」ことに関しては、本当に強い。だからこそ、そのギャップで、自分の"素の音"がショボく感じて落ち込むこともある。 でも、よく考えたら、AIが勝手にゼロから「自分の代表曲」を作っているわけではない。プロンプトを書いているのも、自作トラックをaudio inputとして渡しているのも、どのテイクを採用するか選んでいるのも、自分だ。AIは自分のアイデアを増幅しているだけで、何もないところから"私の音楽"を盗んでいるわけじゃない。そう捉えると、「AIなしでは生きられない自分」と「自作を誇れる自分」は敵同士ではなく、同じクリエイターの違う側面に見えてくる。自分用ノンストップアルバムを作るということ今の自分の具体的なゴールは、ジムで自転車を漕いでいるときにかける「自分用ノンストップインストアルバム」だ。BPMを厳密に揃えるよりも大事なのは、曲が途切れず流れていくこと全体として、自分好みの質感とグルーヴでまとまっていることイヤホンから流れてくる音が、「今の自分の生活とテンション」にフィットしていることここでは、「AIか人力か」はあまり重要ではない。Sunoで作った長尺のトラックを繋いでもいいし、完全手打ちのビートを並べてもいいし、その両方を混ぜてもいい。 結局のところ大事なのは、そのアルバムが、自分のペダルを回す手助けになっているかどうかだ。AIは、そのための時間短縮や、アイデアのバリエーションを増やすための強力な道具でしかない。主役は、「このアルバムを自分のために作りたい」と決めた自分のほうだ。AI時代に、私が音楽をやる意味AIが音楽を自動生成できるようになった今、「人間が音楽をやる意味」は、昔よりも大げさなものじゃなくていい気がしている。暇を感じないように、自分の時間を自分のビートで埋めるジムや作業中、自分を支えるBGMを、自分の手もAIも使いながら作る自作曲をAIに通して「ワイ、天才」とニヤニヤするときどきAIなしで完走した曲を聴いて、「これは俺の音だな」と静かに思うこの全部をまとめて、「AI時代でも、私が音楽をやる意味」だと今は感じている。 AIが音楽を"生成"してくれる。人間の自分は、その音に"意味"を与える。 その意味づけのプロセスの中で、暇が埋まり、生活がちょっとマシになり、今日もジムでペダルが回る。その程度の、ささやかで個人的な理由であっても、音を出し続けるには十分すぎるのかもしれない。 ## Publication Information - [Genx Notes](https://paragraph.com/@genxnotes/): Publication homepage - [All Posts](https://paragraph.com/@genxnotes/): More posts from this publication - [RSS Feed](https://api.paragraph.com/blogs/rss/@genxnotes): Subscribe to updates - [Twitter](https://twitter.com/genxnotes): Follow on Twitter - [Farcaster](https://farcaster.xyz/genxnotes.eth): Follow on Farcaster