# 【俺の教訓】3度の無職生活から這い上がった元アダルトチルドレンRIYUの世界観ブログ 〜習い事の話〜 **Published by:** [riyu420](https://paragraph.com/@riyu420/) **Published on:** 2022-09-15 **URL:** https://paragraph.com/@riyu420/3-riyu-6 ## Content よっしゃあ!今日も最高の一日がやってきたぜ!! こんにちは!3度の無職生活から這い上がった元アダルトチルドレンRIYUだ! 今回も俺の人生を赤裸々に記す世界観ブログを書いていくぜ!! 前回の記事はここから読めるぜ。 今回は小学校時代の習い事の話だ。 結論を言うと人に言われたことからとやり続けると自分の心を封印する癖がついてしまうということだ。 こういう背景があるのは習い事を親に言われたからとか周りが評価するからという理由で嫌々やっていたからだ。 最初に習い事を始めたそろばん教室についてお話しよう。 俺は中浜の住宅地にあるそろばん教室に小学校1年生から中学校2年まで通い続けた。 水曜日の夕方と土曜日の午前に行き、中学生になると火曜の夜に行って一時間~二時間そろばんの問題を解いていた。 なぜ俺がそろばん教室に行っていたのかというと、母親が「そろばんに行きなさい」と言われたからだ。 中浜の習い事といえばそろばんみたいな風潮があったのか知らないが「なぜそろばんなのか?」という点は不明である。 母に「行け」と言われた俺はこう思っていた。 ちなみに俺の同級生で習い事に行っていたのは同じそろばん教室に通ったのは二人、空手教室に通ったのは二人いた。 「お母さんが行きなさいと言っているからいうことを聞こう。」 「周りの友達も習い事へ行ってるから、俺も行かないと笑われる。悪い子だと嫌われる。」 心の底では「そろばん教室に行けばお父さんとお母さんから逃げることができる」と思っていた可能性もある。 では当時の俺の本心ではどう思っていたのか考えてみた。よし、今の俺が昔の俺に聞いてみよう。 Q.心の底から本当にそろばんをやりたいと思っているか? A.えええ、やだよ!習い事本当は行きたくないよ!だってそろばん行く時間があるんだったら、もっとロボットのおもちゃで遊びたいし、ロボットアニメ見たいから都会へ行きたい!俺を都会へ連れて行ってくれよ!」 分かった、よし行こう!と言って極めてほしいところなのだが、現在まで本当に長い間想いに蓋をしてしまった。本当にごめんな。 「もっとロボットのおもちゃで遊びたい。おもちゃ買って。」 「俺、新しいロボットの開発やりたい!かっこいい変形と合体するロボット作りたい!そのためにはもっとロボットアニメを見るんだ!」 きっとロボットアニメのことで頭がいっぱいだ。 本当ならこのタイミングでロボットアニメを極めて継続すれば俺は今頃ロボットアニメの仕事でご飯を食べているだろう。 それぐらいロボットアニメに関わりたかったのだ。 しかしロボットアニメ(というか好きなこと)の関わりから外れた要因は他にあるのだ。 算数が好きなわけでも習い事が好きでもそろばんが好きでもなく、とにかく母親の機嫌や世間の視線を強く気にしていたのだ。 なんでそろばん教室に通っていたのだろうかと後悔している。 そろばん教室に通っていたたくさんの時間や費用や俺自身の精神力などを無駄にしてきたなぁと悲観的に思えてきた。 特に正座がものすごく苦手で嫌いだった。足が痺れるし、立つとものすごく痛くて泣きたくなるのだ。 そういえばそろばんの先生が口調がきつくて怖かったなぁ。 怒る時の怖さは母親以上だ。 いや、怖さは母と同等かもしれない。 どうして俺の周りには頭ごなしに怒る人ばかりいるのだろうと嫌になった。 その先生には息子Y(俺の下級生)がいてよくそろばん教室をサボっていた。 「親の言うことを聞かないあいつは悪いやつだ」と非難していた反面「あいつは親によく反抗できるよなぁ」と感心した。 ここで重要なのは「言うことをきかない人は悪いやつだ」と思うのは母の感情で「反抗できるくらい自由でいいな」と思うのは俺の本心である。 Yの「嫌われようとも自分がやりたいことをやり通す」というやり方が俺はやりたかったのだなとブログを書いていて感じた。 嫌々やった後のストレス解消は教室の帰りに駄菓子を買って食べながら帰ることだった。 たまに教室終わりに学校の知り合いの家に遊びに行っていることもあったが一人でお菓子を食べなが ら帰ることが多かったし、そっちの方が記憶に残っている。 もっとやりたいことをやりたかったと後悔している一方、行き帰りが長くて時間を多く浪費する生活を長い間よくやってこれたなと半ば感心している。 もう一つ楽しかったことは高知市内に行くことができてイオンモールへ行けたことだ。 俺はそろばんの試験や大会が何度か行ったことがある。 学年が上がると高知市内の建物が会場になっていることがあった。 試験や大会が終わった後にイオンモール高知へ行くと決まった時はとても喜んだ。(心の中で) だいたい一人でモール内を散策していて同級生と一緒に行くことはたまにあった。 行く場所は決まっていていつも玩具屋(トイザらス)か本屋かCD屋へ行っていた。 アニメのグッズを見に行くことが楽しかったからだ。 何を見に行っていたのか何を買ったのかはほぼ隠していた。 そろばんの大会帰りに遊びのことを考えているとは不真面目な子だと怒られるのが嫌だったからだ。 周りの罵声に脅えながら徘徊していたのだから結論としては楽しさよりも罪悪感の方が大きかった。 本心では嫌々やっていたそろばんを中2までやり続けたということについて(俺の人生にどんな意味があるのだろう?)と考えてみた。 習い事をやり続けられたからこそ俺には根気強さと忍耐力が身についたのだと気づくことができた。 好きなことや興味を持ったことは突き進んでやっていくし、一度決めたことはずっと最後までやり遂げる力がある。(職場の人からはずっと同じことをしていることが駄目だと言われたことがある) 特にロボットアニメがそれにあたる。 ロボットアニメに関しては過去はもちろん、現在や未来を想像してもロボットアニメは俺の人生にあるのが見えるのだ。 これからもロボットアニメという好きなものを使って社会貢献していこうと計画している。 逆にコンピューターゲームに関してはやりたくてしょうがなくて好きでやっているはずなのになぜかもやもやする。 なんかつまらない。 やめとけばよかった。 そんな気持ちが出てくるのだ。 やり遂げる力の選別も本来はついているはずなのだ。 このモヤモヤの正体は他人の目を気にしすぎる罪悪感と自慢と一番になりたいという見栄だ。 あと同じ作業を同じペースでやれることだ。 つまりこれはロボット人間になったということだ。 普通の人は状況や環境に応じて行動を速めたりゆっくりしたりすることができる。 俺はどんな状況でも行動スピードを一定に固定して動かすことができる。 ・・・と思い込んでいたがこうなる本当の正体は「嫌いだからブレーキがかかってスピードが出せない」という態度の現れである。 こういう経験があったからこそ俺は自由な生き方をするのが大切で価値があるということに気づくことができた。 習い事も学校も自分がやりたいとか興味があるという動機から始めることが重要であり、人に言われても決断は自分でするのだと思えるようになった。 俺の教訓は他人がやれと言ったからとか他人もやっているからという理由で物事をやると失敗して後悔するよ。 俺の世界観ブログ、今回はここまでだ。楽しんで頂けただろうか? 忙しい中訪れたみなさん、俺の記事を読んでくれてどうもありがとう! この記事を読んで共感してくれたり、励みになってくれると嬉しいぜ。 次回のブログもまた読んでね。 みんな、今日も一日楽しく過ごしてね♪ 次回の話に続く ## Publication Information - [riyu420](https://paragraph.com/@riyu420/): Publication homepage - [All Posts](https://paragraph.com/@riyu420/): More posts from this publication - [RSS Feed](https://api.paragraph.com/blogs/rss/@riyu420): Subscribe to updates