# 夜と霧

By [Yuya Murakami / East Ventures](https://paragraph.com/@yu8muraka3) · 2022-09-12

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[East Venturesの村上](https://twitter.com/yu8muraka3)です。

いつもと違った趣の本だが、Sequoia CapitalのRoelof Bothaがオススメする本ということで手に取ってみた。

[https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%9C%E3%81%A8%E9%9C%A7-%E6%96%B0%E7%89%88-%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%EF%BC%A5%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB-ebook/dp/B00P7C2D2O?crid=SHHMZ2AHUQKU&keywords=%E5%A4%9C%E3%81%A8%E9%9C%A7&qid=1662397796&sprefix=%E3%82%88%E3%82%8B%E3%81%A8%2Caps%2C262&sr=8-1&linkCode=ll1&tag=yu8muraka3-22&linkId=865e794257a3e36757026e48ceb65dd8&language=ja\_JP&ref%5C\\\_=as\_li\_ss\_tl](https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%9C%E3%81%A8%E9%9C%A7-%E6%96%B0%E7%89%88-%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%EF%BC%A5%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AB-ebook/dp/B00P7C2D2O?crid=SHHMZ2AHUQKU&keywords=%E5%A4%9C%E3%81%A8%E9%9C%A7&qid=1662397796&sprefix=%E3%82%88%E3%82%8B%E3%81%A8%2Caps%2C262&sr=8-1&linkCode=ll1&tag=yu8muraka3-22&linkId=865e794257a3e36757026e48ceb65dd8&language=ja_JP&ref%5C%5C_=as_li_ss_tl)

彼の紹介文

> Sequoiaの創業者イベントでこの本を紹介し、多くの人に読んでもらいましたが、**この本は、自分を動かすものは何かを明確にするという意味で、とても素晴らしい本**だと思います。私たちは金銭的な報酬やその喜びだけでは動けないからです。

本書は、ユダヤ人精神分析学者がみずからのナチス強制収容所（あのアウシュビッツ強制収容所とその支所）体験をつづったもので、学者的な観察によって極限状態に置かれた人間の収容されてからフェーズごとの心理状態の変化や、起きうる事象、行動が主題。

そして、そんな過酷な中で強く生き残る人は何を思い、拠り所にしたか。亡くなってしまった人との対比もありながら書かれている。

以下、興味深いところメモ

### 人間はなにごとも慣れる

収容所では一度も歯を磨かず、ビタミンは極度に不足していても歯茎の健康状態は以前より良かったり、傷だらけの手で土木作業で汚れていても化膿しなかったりと人間には驚異的な適応力がある。

> 人間はなにごとにも慣れる存在だ、と定義したドストエフスキーがいかに正しかったかを思わずにはいられない。\*\*人間はなにごとにも慣れることができるというが、それはほんとうか、ほんとうならそれはどこまで可能か、と 訊かれたら、わたしは、ほんとうだ、どこまでも可能だ、\*\*と答えるだろう。

### 数週間で心が麻痺する

普通なら目を逸らすおぞましい光景も、数週間で一切反応しなくなる。

> こうして、正常な感情の動きはどんどん息の根を止められていった。**被収容者は点呼整列させられ、ほかのグループの懲罰訓練を見せられると、はじめのうちは目を逸らした。**（中略）数日あるいは数週間もたつと、被収容者はもう変わっていた。朝、まだ暗いうちに、作業グループとともにゲートの前で行列の出発を待っているとき、彼は叫び声を耳にする。そちらを見ると、仲間が何度も地べたに殴り倒されていた。立ちあがってはまた殴り倒される。（中略）**ながめる被収容者はすでに心理学で言う、反応の第二段階にはいっており、目を逸らしたりしない。無関心に、なにも感じずにながめていられる。心に小波ひとつたてずに。**

> その足指は凍傷にかかり、診療所の医師は壊死して黒ずんだ足指をピンセットで付け根から抜いた。それを被収容者たちは平然とながめていた。嫌悪も恐怖も同情も憤りも、見つめる被収容者からはいっさい感じられなかった。**苦しむ人間、病人、死の人間、死者。これらはすべて、数週間を収容所で生きた者には見慣れた光景になってしまい、心が麻痺してしまったのだ。**

### 愛や過去に逃れることで満たされる

原始的なモノに回帰するのが興味深い。

> \*\*愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。\*\*今わたしは、人間が詩や思想や信仰をつうじて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること！人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。

> 収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのは\*\*ただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。\*\*わたしは生まれてはじめて、たちどころに理解した。天使は 永久の栄光をかぎりない愛のまなざしにとらえているがゆえに至福である、という言葉の意味を・・・。

過去に想いを馳せ、芸術や自然に圧倒される

> 自分を取り巻く現実から目をそむけ、過去に目を向けるとき、内面の生は独特 の徴を 帯びた。世界も今現在の生活も背後にしりぞいた。心 は憧れ にのって過去へと帰っていった。路面電車に乗る、うちに帰る、玄関の扉を開ける、電話が鳴る、受話器を取る、部屋の明かりのスイッチを入れる──こんな、\*\*一見笑止なこまごまとしたことを、被収容者は追憶のなかで撫でさする。追想に胸がはりさけそうになり、涙を流すことすらある！被収容者の内面が深まると、たまに芸術や自然に接することが強烈な経験となった。\*\*この経験は、世界やしんそこ恐怖すべき状況を忘れさせてあまりあるほど圧倒的だった。

### 単なる群れの存在レベルにまで落ち込む

> この没価値化は、人間そのものも、また自分の人格も容赦しなかった。人格までもが、すべての価値を懐疑の奈落にたたきこむ精神の大渦巻きに引きずりこまれるのだ。**人間の命や人格の尊厳などどこ吹く風という周囲の雰囲気、人間を意志などもたない、絶滅政策のたんなる対象と見なし、この最終目的に先立って肉体的労働力をとことん利用しつくす搾取政策を適用してくる周囲の雰囲気、こうした雰囲気のなかでは、ついにはみずからの自我までが無価値なものに思えてくる**のだ。

> 強制収容所の人間は、みずから抵抗して自尊心をふるいたたせないかぎり、自分はまだ主体性をもった存在なのだということを忘れてしまう。内面の自由と独自の価値をそなえた精神的な存在であるという自覚などは論外だ。**人は自分を群集のごく一部としか受けとめず、「わたし」という存在は群れの存在のレベルにまで落ちこむ。きちんと考えることも、なにかを欲することもなく、人びとはまるで羊の群れのようにあっちへやられ、こっちへやられ、集められたり散らされたりするのだ。**

### 「わたし」を見失わなかった英雄的な人もいた

> 経験からすると、収容所生活そのものが、人間には「ほかのありようがあった」ことを示している。その例ならいくらでもある。感情の消滅を克服し、あるいは感情の暴走を抑えていた人や、最後に残された精神の自由、**つまり周囲はどうあれ「わたし」を見失わなかった英雄的な人の例はぽつぽつと見受けられた。**

> そんな人は、たとえほんのひと握りだったにせよ、人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、**あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない**、実際にそのような例はあったということを証明するには充分だ。

> つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。**典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。** 　かつてドストエフスキーはこう言った。 　「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」

### その生を意味あるものにするかは自らの覚悟次第

苦しむことですら生きる意味を見出すのはすごい。

> 最期の瞬間までだれも奪うことのできない人間の精神的自由は、彼が最期の息をひきとるまで、その生を意味深いものにした。**なぜなら、仕事に真価を発揮できる行動的な生や、安逸な生や、美や芸術や自然をたっぷりと味わう機会に恵まれた生だけに意味があるのではないからだ。そうではなく、強制収容所での生のような、仕事に真価を発揮する機会も、体験に値すべきことを体験する機会も皆無の生にも、意味はあるのだ。**（中略）およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。

> 抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然 の僥倖に 左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。

実際に、苦しむことに意味を見出した被収容者

> わたしは、ひとりの仲間について語った。彼は収容所に入ってまもないころ、天と契約を結んだ。\*\*つまり、自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死をまぬがれさせてほしい、と願ったのだ。この男にとって、苦しむことも死ぬことも意味のないものではなく、犠牲としてのこよなく深い意味に満たされていた。\*\*彼は意味もなく苦しんだり死んだりすることを望まなかった。わたしたちもひとり残らず、意味なく苦しみ、死ぬことは欲しない。

### 未来を信じるから生きられる

被収容者の多くはクリスマスを過ぎると一気に亡くなるそうで、それは皆が勝手に次のクリスマスには家に帰れるという希望にすがっていて、それが実現せず未来がなくなってしまうから。

> 被収容者の中には、本能的にそうした者たちもいた。\*\*その人たちは、おおむねよりどころとなるものをもっていた。そこにはたいてい、未来のなにがしかがかかわっていた。人は未来を見すえてはじめて、いうなれば 永遠の相のもとにのみ存在しうる。\*\*これは人間ならではのことだ。したがって、存在が困難を極める現在にあって、人は何度となく未来を見すえることに逃げこんだ。これがトリックというかたちをとることも多かった。

> しかし未来を、自分の未来をもはや信じることができなかった者は、収容所内で破綻した。そういう人は未来とともに精神的なよりどころを失い、精神的に自分を見捨て、身体的にも精神的にも破綻していったのだ。

> すでに述べたように、強制収容所の人間を精神的に奮い立たせるには、まず未来に目的をもたせなければならなかった。被収容者を対象とした心理療法や精神衛生の治療の試みがしたがうべきは、ニーチェの 的 を射た格言だろう。**「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」** 　

> したがって被収容者には、彼らが生きる「なぜ」を、生きる目的を、ことあるごとに意識させ、現在のありようの悲惨な「どのように」に、つまり収容所生活のおぞましさに精神的に耐え、抵抗できるようにしてやらねばならない。

### 生きることから期待するのではなく、生きることがなにを期待しているか

生きることから何かを得ようとするテイカーの発想ではなく、生きることに対して何を果たすのかという発想。

> ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。**わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ**、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。哲学用語を使えば、\*\*コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。\*\*生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり言辞を 弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。

### どんなことであれ唯一な存在として自覚した人間は強い

> ひとりひとりの人間を特徴づけ、ひとつひとつの存在に意味をあたえる一回性と唯一性は、仕事や創造だけでなく、他の人やその愛にも言えるのだ。 　このひとりひとりの人間にそなわっているかけがえのなさは、意識されたとたん、人間が生きるということ、生きつづけるということにたいして担っている責任の重さを、そっくりと、まざまざと気づかせる。**自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。**

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*Originally published on [Yuya Murakami / East Ventures](https://paragraph.com/@yu8muraka3/53aZIxc4XQwsUIX1ah6j)*
