Senspace
The Attention Economy has Run me Ragged(アテンション・エコノミーは私をボロボロにする)」は、Senspaceメンバーによる4部構成のシリーズの第1部です。この記事では、コネクション・パラドックスの経験と、つながりのあるより良い未来へ向かうためのビジョンについてお話します。パート1は、Senspaceの共同創設者兼CEO、レン・スターンによるものです。記事の要約は以下から。
多くの人とってSNSを使うことは選択肢ではなく必須のものになっています。デジタル領域で働く人やクリエイターとして、私たちは日々ニュースをチェックし、今と将来の仕事やコラボレーションの機会のために自分自身をブランディングしています。また、友人たちに元気であることを伝えるためにSNSは欠かせないものになっています。朝起きるとまず、世界で何があったかをチェックし、寝ているあいだに世界のどこからか「いいね」がきていないかを確認します。夜寝る前には今日食べたものや一緒に飲んだ人との出来事をインスタグラムのストーリーに投稿します。私たちには何百人、何千人という「友だち」がいて、何かについて意見を交換したり、zoomで通話をしたり、魅力的で新しいプロジェクトに一緒に取り組んだりすることができます。その友だちはまったく違う大陸に住んでいるかもしれないし、実際に会うのは何年も経ってからのことだってありえます。
しかし、何千人もの「友だち」がいて、何百ものzoomミーティングをしたり、日常的にクールでクリエイティブな人たちと出会ったり、オンチェーンやオンライン上の優秀な人たちとその日の出来事について議論したり、個人的にも仕事でも大抵のことがうまく行っているにもかかわらず、私はひとりでやり切ろうとしている感覚と戦っていることに気づきました。
2013年にニューヨークマラソンを走ったときのことを思い出します。33キロ地点付近でマンハッタンに入り、ラストスパートをかけたとき、私は足がつりそうになりました。あと8キロ以上、残りは長くなると思いました。周りには何百人ものランナーがいて、応援する人で溢れていましたが、私は孤独を感じていました。マラソン以外にも似た経験あります。新卒で初めて就職してから最初の週、家に戻ることにも慣れ、大学からの彼女と遠距離恋愛でもうまくやっていこうとしていたときです。
周りにいたランナーたちはみんな自分より年上で賢そうで、応援している人たちに手を振ったり、声援に答えたりしながら、平然と走っているように見えたのを覚えています。数年後、私が見ていた顔は、人生というマラソンにおけるもっと苦しいこともたくさんあるなかで、きれいに切り取られた一部分だと気づきました。
このような現象は、今日のSNSでも起きています。派手な休日、みんなが行っているおしゃれなパーティー、会社での新しい取引、最近では、誰かが週末に手に入れた(あなたが手に入れられなかった)ミームコインの莫大な利益、そんなものばかりが目入ってきます。これは、人々がつまらない日常や自分の失敗を共有しないから起きることでもあります。その代わりに、理想的な生活の写真や動画、数億円もの資金調達など、FOMOを誘発する情報が押し寄せて一大傑作のように積み上がっていきます。デジタルでつながる人が増えれば増えるほど、その規模は大きくなり、SNS企業は私たちにそれを見せ続けるために数千億円もの資金を投じています。
日々、リコメンドされ続ける大量のコンテンツをみていると、無限の相手と無限の競争をしているかのように感じてしまいます。より面白い人、より格好いい人、より裕福な人、より良い生活習慣を持つ人、より魅力的な言葉で話す人、より成功している人が常にいます。このようなたくさんの競争の結果は、いいねやフォロワー数によってはっきりと目に見え、とても速く激しいものです。そこで勝つためなら、自分の気持ちとは反した刺激的なツイートを捏造したくなることもあります。
プライベートと仕事の両方で使っているアカウントでは、ありのままの自分でいることと、つくられた自分でいることを両立させる必要があり、さらに複雑になります。仕事以外の場面でも面白い人であることは、仕事上大きなメリットになりますが、「プロフェッショナル」でないことを投稿したり、会社にそぐわないことを投稿したりすることは、逆効果になりかねません。また会社からは、アプリの新機能や、リリースしたばかりのアパレルの宣伝を、それが本当に良いものだと思っているかどうかに関わらず、頼まれることもあるかもしれません。もはや、シェアやいいねは意思表示というよりも、仕事やお世辞であることさえあります。
インスタグラムの鍵垢やXの匿名アカウントを使って、親しい友だちや限られた人に向けて少数派の意見を投稿することはこのような問題をすこし解決するかもしれません。しかし、そこでさえ身元が特定される可能性もあれば、依然として「義務的ないいね」と「本心からのいいね」が混在している場所になってしまうこともあります。
ここまで読むとSNSを悪のように言っていると感じる人もいるかもしれませんが、これらの問題は「注目」が価値になり、それが民主化されたことの当然の結果だと考えています。SNSのフォロワーは、社会関係資本の強力なひとつの形態であり、ものを売ったり、社会的・文化的なイベントに参加する機会や、自分の意見に正当性を持たせるために利用することもできます。インターネットにアクセスできる人なら誰でも投稿でき、この力を得る機会は誰にでも平等に与えられているように見えます。ミームコインの出現はリアルタイムで流動的な予測市場を使って、注目そのものを直接商品化することを可能にしました。人々は pump.funのようなプラットフォームをつかって、あらゆる文化的瞬間に対してこれを行い、注目の価値をさらに高めています。また、AIの普及によって最適化されたコンテンツが大量に生成されることで、私たちの注目の希少性と価値は高まっていきます。これは注目を引くための競争を激化させ、多くの人々をさらに疲弊させることになります。
この記事を通して話してきた不安を象徴するキーワードは、「コネクションパラドックス」と言います。自然に触れたり、スクリーンタイムを制限したりすることはとても良いことですが、それだけではコネクションパラドックスの根源的な問題を解決することはできません。私たちが飾らない自分を表現できる場になる全く新しい社会的構造、アルゴリズム、そしてプラットフォームが求められています。また、いいねやリポストではない、お互いの考えや感情を共有して、深いレベルで影響を与えたことを評価する、新しい指標を定義する必要もあります。
これは大きなヴィジョンですが、私たちがその一部であり続けたいと思う未来をつくるために必要なものだと信じています。
Senspaceのαバージョンとして、すべての背景を取り除いて他者とのつながりをつくるための、匿名かつ瞬間的なチャットアプリを開発しました。
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また、コネクションパラドックスへの取り組みについてあなたの考えがあれば、ぜひ私のX(@renstern_eth)にDMを送ってください。