【Day 27】遠回しに言うのはやめてくれ

モーニングページ、第27日目。

私は何かを伝える際に、直接言わず、遠回しに言われるのが嫌で堪らない。

いちいち回りくどい言い方するな、腹立つな、と。

自分の母が典型的な例である。

子供の頃からずっと、テストの点が悪い時には「もっと勉強しろ」ではなく「あの子も、あの子も、それに何々君も点数良かったみたいだね。」みたいな言い方をされてきた。

それも一度だけでなく、何度も何度も、しつこく言われた。

部屋が散らかっていることがあれば、「片付けなさい」ではなく、「誰が散らかしたの?お母さんじゃないし、お父さん?」みたいに、明らかに私が散らかしたのが自明であっても、私には直接言わず、「誰が散らかしたの?幽霊?」とずっとつぶやき、私が「僕がやりました。ごめんなさい。」というまで、しつこく、何度も何度も、一日中、ずっと繰り返すのだ。

それだけが原因ではないものの、私は精神を病み、不登校になってしまった。

家にいると居心地が悪く、ストレスが溜まって仕方がなかった。

毎日、毎日、間接的に、何かしら、ぐちぐち言われるのである。

「あの子はアルバイト頑張ってて親に幾ら幾ら渡してるんだって。本当に親孝行だね〜。」

「駅まで迎えに来てもらうの悪いから歩いて駅まで行ってるんだって。なんて親想いなの。」

「誰々君も誰々ちゃんも習い事していないから両親は助かってるだろうね〜。うらやましい。」

このようなことを一日に、何度も何度も、毎日、ずっと言われ続けてきた。

業を煮やして、私が“じゃあ塾に通わなくて良いし、アルバイトもすぐ始めてやる!”と言い返すと、“誰のおかげで今のアンタがいると思っているの!”と説き伏せられるのだ。

塾に行かせてくれとも、中学校の入学も、小学校の入学も、学費の支払いも、それにー産んでくれともー、こちらは一切頼んだ覚えはない。

当人たちの「子供が欲しい」という自己中な欲求に付き合わされ、勝手にセックスし、勝手に世に産みだされ、勝手に小学校に入れられ、その当時の私には支払い能力が無いにも関わらず、それを引き合いに出されて「誰のおかげで」なんて言われると、本当に、もう底の無い虚無感に襲われる。

“何のために俺を産んだんだ?”

“金がかかるのが嫌なら最初から俺なんか産まないでくれよ”

何度もそう思い、自○を試みたことがある。

自分がこの世に存在していること自体が間違いなんだ、と何度も自分に言い聞かせた。

存在しているだけで人に迷惑をかけているんだ、と。

私が○ねば家計の負担も減るし親は喜ぶだろう、そんなに私が邪魔ならとっとこの世から消えてやる、と本気で思っていた。

事前告知なしに黙って家出をし、県外で一人暮らしを始めてからは自○願望も無くなり、精神的に安定した毎日を送れるようになった。

そう考えると、やはり相当な精神的ストレスを抱えていたのだと思う。

今では実家を訪ねるようになったし、親とも和解し(というより過去については無かったことになっている)、普通に会話もするようになった。

当然、母には産んでくれたことに感謝しているし、父には飯を食わせて貰ったことに感謝している。

ただ、相変わらず母のその癖は直っていないようで、今でも実家に帰ると、遠回しにぐちぐち色んなことを言われる。

勘弁してくれよ、と思いつつも、この歳になってやっと「悪気はなくただそういう口癖、そういう伝え方のパターンが染み付いちゃっているんだろうな」と思えるようになった。

これは「親孝行」というある意味でのカウンターができるからこそ、そういった余裕のある受け取り方ができるのだと思う。

子供時代は一方的に与えられるままで返すことができなかった。

こちらが返せないのに、返せないのを分かっているくせに、「誰のおかげで飯食えているんだ?学校に行けているんだ?生活できているんだ?」と、一方的に、いわば言葉のレイ○をずっとされてきた。

今でも私と同じような扱いを受けている子供は多いと思う。

そういう親に言いたいのは、頼むから、「誰のおかげで」などとは口が裂けても言わないでほしい、ということだ。

産んだのはアンタらだ。

アンタらには子を育てる責務がある。

自分で自分たちが産んだ子供の存在を否定するようなことはしないでほしい。

そんなことを本気で思っているのであれば、初めから産まないでやってほしい。

ということで今日はこの辺で筆を置くことにする。