「七つの子」や「赤い靴」などの童謡で知られ、晩年を宇都宮市で過ごした詩人の野口雨情の直筆原稿など、およそ2500点の資料が栃木県立博物館の調査で新たに確認されました。代表作の発表前の草稿もあり、専門家は「雨情の創作の過程を知るうえで貴重な資料だ」としています。
野口雨情は大正から昭和にかけて「七つの子」や「赤い靴」、それに「シャボン玉」など、口ずさみやすく今も歌い継がれる童謡を書き残した詩人で、太平洋戦争中に東京から宇都宮へ疎開して晩年を過ごしました。
新たに確認されたのは、ことし10月、栃木県内に住む雨情の孫の男性から栃木県立博物館に寄託された資料で、詩の原稿や手紙など、およそ2500点にのぼります。
資料の大半が直筆の原稿で、このうち、代表作の一つ「十五夜お月さん」の草稿は、大正9年に作品が発表されるおよそ2年前に書かれました。
完成までに何度も手直ししていたと見られ、この曲の「婆やはお暇とりました」という歌詞は、草稿の段階で「婆やは田舎へゆきました」という別の歌詞だったことが新たにわかりました。
また「雲雀の水汲み」という作品の4枚の草稿からは、推こうを繰り返す様子がうかがわれ、細部にこだわった創作の過程を読み取ることができます。
調査にあたった栃木県立博物館の小柳真弓主任研究員は「資料が戦争で燃えてしまった文学者も多い中、お金と人手をかけて作品を疎開先に運んでいたため、貴重な資料が残っていた。雨情は、詩というものは、作った人の名前が忘れられて流布されることで本物の詩になると述べていて、そうした考えを持った詩人の直筆の原稿がこれだけ多く見つかったことに大変意義がある」と話しています。
今回確認された資料の一部は、来月15日から宇都宮市の栃木県立博物館で展示されるということです。
今回確認された資料の中には、詩の原稿のほかにも、家族宛ての手紙や交友関係がわかる住所録など、雨情の人物像をうかがわせるものが残されていました。
このうち、講演などで全国各地を回っていた雨情が家族に宛てて書いた12通の手紙には「なるべくよく寝ていて」などと、子どもの健康を気遣うことばが頻繁に書かれていて、父親としての姿をかいま見ることができます。
また、詩人の北原白秋や、作曲家の中山晋平らの住所を記したメモ帳からは、当時の交友関係が見えてきます。
雨情が書いたもの以外に、昭和20年に雨情が亡くなった際、ジャーナリストの徳富蘇峰が本名の猪一郎の名で書いた弔辞も見つかりました。
この中では「君の純情の詩魂没すべからざるものあり」と書かれ、当時の文壇が雨情の死を惜しんだ様子をうかがい知ることもできます。
