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孤独死という社会課題

2019年9月21日ラグビーワールドカップがついに日本で開幕!!!観客で埋まるスタジオに大興奮しながら、日本ラグビー業界も歴史的転換点に来たんだー!とこれから始まる44日間に胸を高鳴らせた。

今思うと開幕戦の相手はロシア。前半日本代表も4万人超もの観客に囲まれた経験がないからか、完全に浮足立っていたけど、後半はちゃんとまとめてきた。ロシア代表の選手一人一人に歴史があり、それぞれの人生があるわけだが、今この世界情勢の中彼らはどう生きているのだろう?なんて余計な心配。

9月28日は朝から茅ヶ崎の地引網に参加させていただき、地引網のメンバーの中には日本平でアイルランド戦を観に行く!というメンバーもいて、羨ましいなぁ〜と会話をしながら、駅で別々の方向へ。自分は経営者仲間が企画してくれたダークイン・ザ・ダークでの暗闇体験を通して身体感覚を研ぎ澄ませる経験をして、そのままセガが運営する秋葉原の最新ゲームセンターへ。VRゴーグルを装着したゲームを体感しながら、コソッと抜け出し秋葉原のHUBへ。そこはリアルの別世界w。ノーサイドの笛が鳴った時のHUBの中の熱気と興奮は半端なかった!全員とハイタッチしたなぁ〜。

SO田村のゴールと共にノーサイド!
SO田村のゴールと共にノーサイド!

9月29日はオーストラリアvsウェールズ戦を東京スタジアムで観戦。世界最高峰のプレイに酔いしれる。まだまだ夢の中。

毎日の会議でも口を開けばラグビーラグビー!と騒がしい中、迎えた10月3日。一本の見知らぬ番号からの着信。普段妻以外めったに電話がかかってくることないので、何だろう?と思いつつ。電話の主は地域包括支援センターかわきたさん。「最近お父様にお会いされましたか?」と言われ、そういえばいつ父親と会ったかなぁ〜と振り返りながら、なんだ?なんだ?荒手の詐欺か?とも頭の中で混線。「とりあえず一度日野の家に見に行ってください。」と言われ、嫌な予感。妻に連絡を入れ、銀座にいるということだったので、自分自身も午後の会議をキャンセルして帰宅することに。廊下ですれ違ったフォトクリ社長のめぐさんに「これワンチャンあるかもしれないわー」と手短に説明して帰路へ。

当時のオフィスでの正装
当時のオフィスでの正装

自宅に到着後、すぐに妻と合流し、たまたま家にいた息子と娘を連れて日野の実家へ。散乱した郵便物を見ながら、ドアのぶをまわすと鍵がかかってない。ドアを開けた瞬間中からハエの集団が!ムシの知らせとはこのことを言うのか?と確信に変わり、玄関からあがって、電気を付けて、居間を覗き込んだ瞬間、ソファーに横たわり完全に変色して黒ずんでいる父親の顔を確認して、後ろから付いてきている家族に、「これはヤバい、撤収!」と。

とりあえず警察に連絡をし、手続き上救急車を呼ばないと、ということで、救急車の到着をを待ち、救急員による死亡の確認を行ったあと、検視官の方が現場へ。事件性の確認も含めて事情聴取ということで、父親の死体が横たわるソファーを横目にテーブルにて検視官の人と会話。白いシャツに白いブリーフといういつもの父親のスタイルが肉体の膨張なのかパンパンになり茶色く変色しているのを、「お父さんで間違いないですか?」と聞かれながら、いかんせん耐えられないのは臭い。人間って腐敗するとこんな臭いするんだ!という、タオルで鼻をおさえても鼻腔にまで届く悪臭。あまりの臭いに途中から身体が震えだすという。「お父さんの身分証が見当たらないので、車とかあれば確認しに行きましょう」と言っていただき、外に出れた時は正直ホッとした。

車に向かう途中、二人の検視官の若い方とご一緒して、「凄いお仕事ですね。」と思わず聞いたところ、「今日の午前中の現場はお婆さんだったのですが、クーラーも効いてない部屋だったので、もっと凄かったですよ。」との回答。なにっ!一日で2回もこの経験してるって、こういう方々が日本を支えていってくれているんだな、と心の底から敬服。なんでもこの仕事について8年目で、署内でも中々続けられない仕事なんですよね、と。ベテランの方はなんと35年目!!!もはや神を超える存在。翌日の日野警察署でも遺体の引取の手続き等でご一緒したけど、署内でも愛されているんだなぁ〜というみなさんとのコミュニケーションを見ながら、自分の浅はかさを突きつけられるという。

父と母は昔から仲が悪かった(ものごころ付いた時には喧嘩しているシーンしか見たことない)ため、私の高校卒業と同時に母が家を出ていったのだが、仕事柄海外のプラント設計のためほぼ日本におらず、引退後は仕事人間だったためなのか、元々の人柄なのか、友達とも交流している様子もなく、広島の父が生まれた家の敷地内に建てたログハウスと日野の家を行ったり来たりしている生活。たまに八王子の我々の家に寄っても、お茶をする間もなくすぐに帰るという性格。妻とは「何を楽しみに生きているんだろうね?」とよく会話したもの。

死亡推定日時は9月3日の午前ということだったが、死後丸1ヶ月放置。年始に珍しく、「もし何かあったら、この棚の裏に鍵とメモがあるから、それを開いてな」と言われ、「まだ73歳なんだから早いでしょ」って会話をしてたんだけど予感していたのか?謎。こんなこと起きるんだなぁ、と思って調べてみると『孤独死』という言葉が。父は自ら社会と断絶していた感はあるけど、家族がいるのに所在不明になったり、介護が必要な高齢者と仕事のない息子が親子そろって社会から孤立してしまう、といった深刻な現実が存在しているという。血縁、地縁、社縁とつないできた日本。海外の方が来ると、困っている人がいても立ち止まることをしない都会の人を見て、あまりの他人への無関心さに不気味ささえ感じるという。父の死を通してこれからの社会におけるつながりをどう作っていくのか考えさせられた。

こんな話をしたくなったのも、昨日元職場の役員が開いてくれた送別会にて、とあるメンバーから、「うちは父が死んだ時、借金11万円だけ遺して死んだんですよねー」との会話。「なにそれ!ちょうど僕今『DIE WITH ZERO』読んでるところだったので、めちゃめちゃ理想的な死に方じゃないですか!」という会話から始まり、その方の父親が、「明日も公園の掃除参加するよー」と笑顔で言っていたのに現れず、心配した他のメンバーがすぐにかけつけ判明したとのこと。死に方とはすなわち生き方。人との関わりでしか人間生きていけないんだけど、この問題解決する方法はないのか?と改めて自問。

ここからはできるかできないかわからないけど、身体知の言語化のために記載。

先月のこと。妻の実家で兄弟家族も全員揃ってワイワイガヤガヤやっていると、義母から「マサー、学校作ってよー」と突然の投げかけ。「私達もう75歳じゃない。お父さん(私から見た義父)が去年腰を手術してから、毎日病院と家を行ったり来たりしているだけの生活。他の誰かと交流するわけでもなく、世界が狭いのよ。本当に気が狂っちゃいそう。なんかもっとワクワクしたいのよ!」と。その時上記の課題と頭の中でソリューションが結合。「そうか!70歳〜75歳が1年生、75歳〜80歳が2年生、80歳〜85歳が3年生、95歳以上が6年生っていう大人の学校作ればいいんだ!少子化で学校が廃校になってくるだろうし、そこに学びの場所を作る。月額5万円とかで。1年生が上の階を使って6年生が下の階。んでもって1年生が6年生の面倒を見る、的な。スポーツジム行くより、学校で体育やったほうが強制的に体動かすし、音楽もみんなでできるから楽しいし。歴史の授業なんて、今のウクライナ問題の課題解決をグループディスカッションで具体案考えてもらって、お金もそこそこあるんだろうから、実行に移すとかね。倫理の授業は死生観についてだなぁ。病院にお金使って国の予算も医療費に結構な額がかかるよりよっぽど心身ともに健康的じゃん。しかも引退後の元気な時から老人ホームまでの期間ってすっぽり空いてるよね。」

アイデア思いついたら会う人会う人に伝えてるとヒントもらえるので、3月30日のカルチュアコンビニエンスクラブの増田社長への退任の挨拶の際にも、「社長、社長も来期から暇になるんですよね?学校やりません?」と。社長からは「学校なんてみんなやってるじゃん。今さら何ができるの?」と言われたので、アイデアを話すと、「オレはそんな加齢臭だらけのところ嫌だなぁ〜。若い子と話をしてるほうがよっぽどいい。」とのコメント。帰宅して妻にそのことを話したら、「若い子先生にすればいいだけじゃん。加齢臭のイメージを変えるってことなのにね。拒否反応を示す時点で生徒認定!年老いて活躍する場がないと気づいた時に話の意味がわかるはず。でもそれじゃ遅いのよね」と。

こりゃー私の会う人みんなが「サワさんすげぇー!」って言うわけだ(笑)

余談:父の死の現場に立ち会ってからしばらくの間、食事を摂ると鼻腔の奥からふわっと臭いが漂ってきてた。特に肉や魚のときはそれが強く。おのずと野菜中心になってったんだけど、精進料理ってお坊さんが食べるやつ。昔は今ほど死体の保存技術がなかったから多分あの臭いがずーっとこびりついていて、その中でも美味しい食事を取りたくて生まれたのかも。(あくまで私の考察ですw)