Euthanasia Drama

作品概要

2022年の第13回「創元SF短編賞」に応募したブロックチェーン小説です。

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作品

「人間が絶滅する。いや、人間を人間足らしめるなにか、いわゆる人間性が遷移していく。ヒトから他へ。これは誰が描いたシナリオなのか。果たしてその一端を、あるいはすべてを、この老体の身である僕も、いや僕が、担っているのだろうか?」 よくよく見知った人類の滅亡シーン。 これは映画なのか、現実か? はたして今はいつなのか? 過去と未来が交差し、いや錯綜し? 集約されての、お引越し? ともあれ僕はもう己の定義すら曖昧だった。 己の責任とはなんなのか? 役割とは? 配役とは? そもそも今の僕は、一体、どこの、誰なのだろう? 「今日未明、老人福祉施設『たいようの丘』で七〇代の男性が睡眠死しているのが発見されました。男性は亡くなる直前、プロタゴニストドラマにて――」

早朝の冬の寒さが老体に厳しい。福祉施設の中は適温に保たれているけれど、いつの時代であっても、といってさらなる未来になればまた違ってくるのかもしれないけれど、ともあれ屋外は生の地球がもたらす厳しさに満ちている。僕はそれが好きなのかもしれない。あるいは施設内ではどうしても思考が狭まってしまうから創作のために表に出ざるを得ない、という現実的な理由もある。さてはともあれ寒かった。空はまだ薄暗く、吐く息は白い。手は冷たさを通りこして痛みさえ感じる。指先がかじかみ、スマートフォンがうまく扱えない。創作が捗るようにと散歩をしているのに指が震えて執筆が滞ろうとはなんたるジレンマか。僕は体内でありったけ温めた空気をゆっくりと己の手に吹きかけ、冬へ、生の地球へ抵抗する。 「モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行創業から六〇〇年と少し、社会はTrustless――信用する第三者を必要としない信頼のプロトコル――で成り立っていた。そこに生きる人々はコミュニケーション量によるPoWとコミュニケーションパス数のPoSによって己の価値を示し、銀行の衰退したその信用社会を回していた」 小声で呟きながらポチポチとスマホの画面を叩く。文字を書き連ね、もとい置き連ね、文章を構築していく。いまや絶滅したに等しい、文章を。あるいは絶滅したのは人類なのだろうか。施設を出てからそこそこ経つというのに、まだ誰一人とも出会わない。まるで世界に僕一人だけ取り残されたかのよう。白銀の冬がもたらす穴の空いたような空虚の感は坊辺慶(ぼうべんけい)を失ったときに襲われたそれに似る。ニュースでは今朝も睡眠死が大きく取り上げられていた。施設で出来た友人、とりわけ仲が良く、長年の付き合いをした慶の死因。今なお解明されないそれは、ここ数年猛威を奮い続けている。眠ったまま起きてこない。眠ったまま死んでいく。その流行病により人口は世界的に激的に減っている、と聞く。嘘か、真か、都市伝説か。少なくとも今の施設に入っている人間がいよいよ僕だけとなり、遂には閉鎖が決まったというのは事実だ。つまり今の僕は施設の中でも誰とも会わない。会えなかった。ゆえに表で誰かと会話しなければ独り言でもつぶやいておかないかぎり声帯が退化しかねない状況にあった。もっとも今の世では文字は元より言葉すらもはや必要不可欠ではなくなっているのだけれど。それでも管理側の配慮諸々により僕はもう少ししたら引越しをさせられる。行き先の選択権はないから、そのうち決定通知が来るのだろう。次は暖かい土地だろか。それとも、はたして。 視線をあげれば変わらず広がる雪景色。再び指先に温めた息を吹きかけ、僕は無人の野を歩む。かつて少子高齢化と叫ばれた時代の課題の、いよいよの顕在化。当時の子は今や僕と同世代の老人だ。重ねて睡眠死による人口減少も相まっている。今や日本人はどれくらい残っているのだろう。けれど僕の周りに、今、人が見当たらないのはそれだけが原因でない。これだけ寒い日の、しかも早朝五時となればこうした状況も頷けるというもの。人や自動車で溢れた令和初期と違い、今や歩きスマホでとやかく言われる時代ではない。そもそもスマホ自体がもはや化石、僕が散歩しながらなにをしているのか、遠目に見かけてもわかる人間がいないし、歩きスマホがもたらす危険性も今では限りなくゼロに近い。それでもなお僕が人の少ない早朝を選んで散歩している理由は簡単、老人の目覚めは早いのだ。冬なれば空がまだ薄暗い時間から目が覚め、自動的に朝がはじまる。あるいは高次の存在に行動を誘導されているかのように。 「……ちょっとさみしいし、方向性についても聞いてみたいし」 慶が聞いてくれるでもなく、ゆえに誰に断るでもない。半ば己に言い訳するかのように呟いて、僕はスマホから、この世界から、己の意識を切り離し、別次元の僕へつなげる。歩みは自動運転されるがごとく漫然と続けつつ。開けた一本道で人気もないから、よほど障害にぶつかる心配はない。 「おはよう。ちょっといいかな? 次回作なんだけど、ディストピア的なSFに挑戦してみようかなって思っててさ? なんか急にそんな気分に駆られてさ。既にちょっと書きはじめてみてるんだけど、どうかな?」 「キターーーッ!」 「新作、楽しみにしてます!!」 「おはようございます!」 「おおっ、今から待ち遠しい!」 「絶対に買う!!」 脳に直接響いてくる歓声の数々。節々が痛む老体を引きずる身ながら、こう見えて僕は現代の華形と呼べる職に就いている。誰にでも出来る仕事でないうえに需要が高く、だから稼ぎもよい。ひと昔前には閑古鳥が鳴いていたような業種だというのに人生とはわからないものだ。なにより慶の他界後、持て余した時間を埋めるため、彼が趣味でしていたのを真似てはじめたのだというのに還暦すぎてひさしき身でまさかこれほど人気者になろうとは。かじかむ手を温めるがごとく、己に内包された生体デバイスへと語りかければ、これこのとおり。即座に反応が返ってくる、それも大量に。 「ウォー、これはビッグニュースだ!」 「今の連載の続きも楽しみにしてます!!」 「SFなんてサイコーすぎる!」  思念交信機能の発展で言語の壁がなくなって以来、オンラインの世界に夜はなくなった。かつての自動翻訳機能にやや似るけれど、交信手段は化石めいた文字や言葉というツールを必要とせず頭で考えるだけでよかった。イメージを伝え合う方式だからこれまで根強く幅を効かせていた言語の壁もいよいよ立ち塞がることを諦めたらしい。こうして僕らは地球の裏側の人間とさえ、シームレスにコミュニケーションが取れるようになった。そして地球上には必ず陽のあたる場所があった。こちらが夜でもあちらには昼があり、必ずどこかで誰かが起きている。ゆえにリアルなロケーションに縛られないオンラインの世界はいつだって太陽が照り、人で溢れていた。体感では実在する人口以上のアカウントが存在しているのではないか、と疑わしく思えるほどに。 「いつぐらいに公開の予定ですか?」 「待ち遠しすぎる!」 「SF、激アツ!!」  名も顔も知らぬ人たち、国籍も年齢もわからぬファンらが上げる歓声。嬉しくはあるけれど、古い人間である僕にはあまり現実味がなく、半ば他人事にすら感じられてしまう。もしかしたらそうした塩梅がちょうど良く、ファンの獲得につながっているのかもしれない。 ともあれ、こうした僕の人気も一重に社会の変化によって生じているところ大きく、しいては技術の進歩に下支えされている。性別や身体的特徴による差を区別でなく差別と定義し、過剰といって差し支えないほど抑制し続けた結果、副作用に近いかたちで僕のような独り身の施設暮らしの老人が活躍する場を与えられようだなんて半世紀前の令和初期には考えられなかったろう。 アバター――己の代わりに社会とコミュニケーションを取る、もう一つの自分。化身。あるいは分身。 僕こと田中九郎(たなかくろう)を指し示すそのもう一人の僕に性別や年齢といったラベルは不要だった。それこそヒト型である必要すらなかった。現に僕の今の分身は球狐(きゅうぎつね)、狐を模した球型の愛らしいNFTアバターだ。九つの短い尾をそれぞれに揺らし、仮想空間をふよふよと漂っている。 メタバースと呼ばれる球狐の住む世界、このバーチャルな世界は、錠剤型の、すなわち飲み込む方式で体内へ取り込める生体デバイスの誕生により急速に普及した。あれよあれよという間に三六五日ニ四時間、常時接続型のオープンメタバースが当たり前となり、世界を一挙に塗り替えた。学校も遊び場も一部では職場さえもバーチャルな空間へ移り、必然、そこにあらたな社会が形成される。それこそアバターたちが、アバターのみが住む、あたらしい世界が。球狐姿の僕が生息する、もう一つの地球が。 バーチャルアースと名付けられたその巨大統合メタバースの確立に爆発的な加速をもたらしたもう一つの要因は、生体デバイスとともに仮想空間に浮かぶ地球を裏で支えるブロックチェーン技術の動向による。そちらの界隈のトレンドとしてプライベートチェーンからパブリックチェーンへというムーブメントが強烈に起こったから。これにより個々に仕切られていたプラットフォーム間へブリッジが渡され、まさしくオープン、それぞれのメタバースを自由に行き来できるようになっていったのである。そうして気づけばあれだけ無数にあったバーチャル空間は数十年でまたたく間に統合され、けっきょくは一つとなった。世の中はリアルとバーチャル、この二つのみの定義へと収束したのだ。僕のような老人からすればわかりやすくなって本当に助かる。つまり今は二つの地球が重なるように存在している。リアルな地球とバーチャルな地球、その二つが。健康管理やスポーツ、子育てや家族の営みは前者で、エンタメやコミュニケーション、趣味や友だちと遊んだりというものは後者で、と棲み分けも明確である。僕はリアルでは施設暮らしの孤独な老人として、バーチャルでは宙に浮かぶ球狐の姿で、二つの生を同時に生きている。 「牛若さん、こんにちは!」 「あっ、ロボロボさん。どうもです」 「そのアバター、普通に使ってくれていてめちゃくちゃ嬉しいです。ありがとうございます!」 バーチャルアースには見ず知らずの人だけでなく、もちろん知人もたくさんいる。虚空へ向けてなにかしら発言すれば、こうして時に見知った人がリアクションをくれることもある。ロボロボさんはその名のとおり二頭身のロボットをアバターにした人物だ。僕の球狐と対照的な四角い頭部、それを支えるアンバランスで小さなメタリックボディ。ただ立っているだけで地に足をつき、しっかりと頭部を支えている、あるいは必死に頭を落とすまいとしているように見え、声にあわせて頭部をカクカクと動かすエフェクトも相まって実にコミカル。既に三年くらいの付き合いなれど、いつも健康で風邪など引かず、またいつでも眠っていない印象がある。おそらく本体は若者なのだろう。それにも関わらず、今なお信じられないことに彼/彼女は僕のような老人のファンなのだという。己のファンが目の前に存在する、というのはなんとも違和感しかない。目の前といっても実際には地球の裏側なのかもしれないけれど。 「いやいや、こちらこそありがとう。ウェイティング時のアニメーションがめちゃくちゃ好評です。僕自身、狐も好きだし、すごく気に入ってます」 「そういってもらえるとクリエイター冥利につきます!」 聞けばロボロボさんはデジタルアートのお仕事をされていて、一点物のNFTとして僕が常用している球狐の3Dデータをプレゼントしてくれた当人でもある。年齢、性別、その他すべての素性が不明。僕と違ってバーチャルアースでニックネームを使っているから名前だってわからない。しかしロボロボさんはロボロボさんだ。今の僕にとっては明確に知人に入る。慶やむかしの僕からしたら到底考えられなかったろう。そんな彼/彼女は僕のことを源九郎義経、すなわち牛若丸になぞらえて牛若と呼ぶ。 「本当にお代はいらないんですか?」 「もちろんです。頼まれてもいないのに作って、僕が一方的に牛若さんへ送りつけたものなんですから」 バーチャルな世界を揺蕩う球狐は時おり尻尾を振り回しては向きを変え、瞬きをしては宙空で回転運動をしてみせる。可愛らしく皆から好評のそれで、僕の意志とは無関係に世界へ生存報告をしてくれているのだ。老いさらばえたとはいえ未だ生ある僕の、この生身が無意識にそうするのと同様に。 アバターは既に令和初期のそれとは一線を画している。なにせ実在する生身と連動しているから。生体デバイスとパブリックブロックチェーン、これによりリアルとバーチャルの間にもブリッジが渡された。現実世界の生体情報がセンシングされ、仮想世界のアバターへ自動反映されていく。ゆえに僕の生身が風邪をひけば、バーチャルアースの球狐も弱ったビジュアルに変わってみせる。 といって今さらだけれど、皆が皆、僕を、僕が己に設定した球狐の姿で見てくれているわけではない。インタラクティブというのか、自分の視点の中だけであれば、我々は特定の相手に自らが選んだアバターを勝手に適用させられる。複数の友人が同系のアバターを使用していた場合、ひと目で区別がつけられなかったりするからだ。おおむねニックネームをつける要領だろう。だから僕にロボットのアバターを着せているファンもいれば、おにぎりのアバターをかぶせている人もいる。タイ焼きも。こちらからは誰の目にどんなキャラクターで己が映っているのかを伺うことはできないけれど。 「あっ、そうだ。ロボロボさん、今みんなにも聞いてたんですが、ロボロボさん的にはSFってどう思います? 僕が創るとしたら?」 「いやいやそれはどう思うもなにも、ですよ! 僕は前からずっと遠回しにSFをお願いできないかなー、って言ってたじゃないですか!!」 「えっ、そうだったんですか?」 「気づいてなかったんですか!? 逆に驚きなんですけど!」 「僕も、今、驚いています。まさかそんなだったとは」 「いや、しかし、嬉しいです! いよいよ牛若さんのSFが見られるなんて! もうなんかこう、せっかくなんで人類が滅亡しちゃうような、壮大なスケールのやつを期待しちゃいます!!」 「おっ、ちょうどぴったり。こんな偶然もあるんですね。僕はこれまでハッピーエンドしか創ってこなかったんですけど、なにやら無性にこれまで創ったことのないものを手掛けたい衝動に駆られちゃって」 「クリエイターあるあるですね。破壊と再生というか、過去の自分に縛られず、あたらしいことをはじめたい欲求というのか」 「どうなんでしょう? ともあれディストピアに向かうような、そんなストーリーが創れたらよいなって思ってたとこなんです」 「サイコーすぎまず。僕の大好物です」 「そうですか。こんな偶然もあるんですね。神様のお導きというのか、なんなのか。じゃあちょっと本当に創ってみますね。はじめてのSFだから上手に創作できるかはわからないけど。ってわけで、みんなもちょっと待っててね」 怒涛のような歓声があがる。それを背に置き去りにして僕はオープンコミュニケーションをオフにする。一方的に投げつけるだけ投げて相手の話を聞かない、というのは人としてどうかと思うのだけれど、向こうは向こうでの盛り上がりがあるだろうし、すべて相手をしていたらキリがないのも事実である。時に割り切りも大切なのだ、オンラインという世界は。同時に僕は個別にクローズドコミュニケーションのパスを開き、ロボロボさんへダイレクトコネクトする。 「ロボロボさん、ちょっといいですか?」 「あっ、牛若さん。はい、だいじょうぶです。先日お話してたあたらしいデバイスの件ですか?」 「そうなんです。どこの機種にするのかとか、いまいち決められなくて。正直なところ、なにがよいとか、そういうの、わかんないんだよね。もうおじいちゃんだから。どうせ細かい機能は使いこなせないんだし、基本的な機能を簡単に使えるやつがいいなー、って。なんなら今のままでもよいくらいでさ。機種変更して操作性がガラッと変わっちゃうのが一番怖いんだよ」 僕が子どもの頃にはまだ、脳や手にマイクロチップを埋める云々の話題が盛り上がっていた。トランスヒューマニズムという思想なのだと中学生になって知った。今や確立されている思念交信機能、すなわちテレパシーを技術的に再現してどうこう、また手足を使わず脳波でテレビゲームをプレイできる云々。未来的で夢があるとは思いつつ、現実的には絵空事の夢物語だとばかり。今にして思えば暗黙的な心理としての拒否反応もあったのだろう。それもそのはず怪我でも病気でもなく、必要に迫られているわけでもないのに身体をいじること、それを肯定的に許容できる人間は少ない。手術という言葉へのアレルギーもあろう。これがしかし錠剤となれば話は変わってくる。それこそ慣れの問題だろう。風邪薬を何度となく飲んできた人類としては小型のカプセルを飲むことへの抵抗は比較的に少なかった。僕の場合でいえば歳を重ねた今となっては普段からサプリメントや血圧の薬など、多数を常用している。そこに一錠くらい追加となってもまったく気にならない。こうして世界へあっという間に広がったのが錠剤型の体内デバイスだ。三年で消化され、またあらたな機種を飲み込む。かつてのスマートフォンの買い替えに似るこうした仕様も普及を加速させた要因だろう。一度飲んだら取り返しがつかなくなるわけでなく、なにかあっても三年で交換できた。 「錠剤の開発サイクル、早いですもんね。以前の、牛若さんの機種、今ではもう売ってないみたいです。上位互換のデバイスも……ちょっとなさそうですね」 「やっぱり。僕も互換性の高そうなものを自分なりに探してみたんだけど見つけられなくてさ。もう憂鬱でならないよ。どれがよいとか全然わからないし。そこでロボロボさんにオススメとか聞いてみたくてさ」 「身体との相性もあるので他人にオススメする、というのはなかなか難しいですね。メインの使い方とか、希望の機能とかあります?」 「ひとまずバーチャルアースに入れて、こうやってみんなでやりとりできればいいかな。今でまでどおりに」 「基本中の基本というか、今のデバイスだとそれをできる機能がないものを探すほうが逆に難しい感じですね」 「……だよね。標準装備だよね。となると、あとは……しいて言えば永続性が高そうなデバイスがいいかな」 「永続性? ブロックチェーンでどうこう、みたいなやつですか?」 「いやいや違うよ。そういうんじゃなくて――」 今回のような三年後の買い替えの際に上位互換の機種が出ていそうなもの、その先もずっと。そういう機種であると助かる。都度都度ダイナミックに操作性が変わってしまっては、とても七五歳の身では次はついていけそうもないから。 「なるほど、となると大手のデバイスですね、やっぱり。多少はお値段も高くなりますが、それでも三年後も残ってる可能性が高いので」 「その大手のものがどれか、も僕にはとんとわからないんだ。参るよね、まったく」 「ご迷惑でなければ、まずは僕がいくつか見繕ってきましょうか? お気に召してもらえるか、自信はありませんが……」 「ええっ!? いいの? ぜひお願いしたいよ、ぜひぜひ!!」 「体内に取り込むものですし、セキュリティ面的にもあまり他人に任せるのはどうかとは思うものではありますけれど……」 「いいって、いいって。僕はそういうの気にしないし、ロボロボさんは信用しているから「いやー、なんか、ありがとうございます。恐縮ですけど、嬉しいです。それでは、また今度、個別に連絡させていただいても?」 「もちろんだよ」 球狐が僕の精神状態をセンシングしてか楽しげに踊りだしている。そのまま少しの間、会話を続けてから彼/彼女と別れ、僕は再び散歩中の老体へ戻った。見上げれば空が明るくなってきている。一面の雪が陽光を跳ね、いつの間にか輝くような白さを放っている。まるで創りものの世界のよう。それでいてこの美しさは決して人工的には、すなわち生の地球でなければ生み出せないであろうとも思った。ずっと頭を悩ませてきた気がかりの一つが解決し、気分が晴れ晴れとしている。これぞまさしく導きというもの。僕は意気揚々と再び雪の中の歩を進めた。

インタラクティブ、双方向や対話式といった意味を示すいまいち要領を得ない言葉である。僕の今の生業はこのインタラクティブを頭に冠したドラマ、インタラクティブドラマから端を発している。通常のドラマがレストランならインタラクティブドラマはBBQだ。完成された料理を提供するのでなく、設備や素材を提供して料理からさせてあげる。すなわち視聴者の選択によって結末が変わるようなドラマである。これにディープフェイクに用いられる画像合成技術と没入型VRが相まって現在のプロタゴニストドラマが生まれた。己で手を加えられる幅のより広がったそれは主人公(プロタゴニスト)というその言葉が示すとおり、選択した設定で、選択したシナリオを、己を主人公としてドラマ化できるという今もっとも注目を集めるコンテンツである。僕はそれのベースとなる物語を構築するストーリー設計者だ。小説家ともシナリオライターとも少し違うけれど、おおむね似たようなその仕事から創造されるアウトプットを今では世界中の人たちが待っている。リアルな地球だろうと、バーチャルアースだろうと、差別や偏見に晒されていようと、そうでなかろうと、どんな社会を生きていたとしても人はやはり承認欲求からか己を主人公とした物語が見たいのである。あるいは己が主人公になりえたいのである。『生まれたからには誰もが人生の主人公である』といった上辺だけの綺麗事でなく、己の納得する主人公に。そうした疑似体験ができることこそ、このコンテンツの醍醐味だった。 「僕に主演をやらせてもらえませんか?」 「脇役でよいので私も出演させてください」 「次回作はSFとのこと、ぜひとも俺に配役を一ついただきたく」 散歩を終えて朝食を取り、少しだけ執筆し、また寝て、起きて、執筆をした。そして昼食を終えた僕が再び球狐と化してみれば既に山のようなアピールが届いていた。新作について触れたのは今朝だから、あれからまだ半日も経っていない。それなのに早くも一万件を超えるメッセージ。オンラインの世界はこうして数の認識が現実と乖離することがままある。僕の周りには現実的には一人も人がいないのに球狐の周りにはこれだけの人がいる。まったくもって不思議なものである。 メッセージはどれも現実世界で有名な人気俳優たちから、あるいはメタバース世界で人気アバターを操るアカウントたちからだった。ありがたいことだ。プロタゴニストドラマはストーリー設計者だけでは完成させられないから。正確にはストーリーとしては完成させられるけれど一般ユーザーが使いやすい形へと仕上げられない。これをするには僕のストーリーに沿ってまずは通常ドラマのごとく演技力のある俳優に配役を演じてもらう必要があるからだ。それをベースとして一般提供し、そこに己の好みに応じた役を上書き設定していけるのが、プロタゴニストドラマである。主人公を自分に、恋人役を自分がファンである人気俳優に、敵役を自分が嫌いな会社の上司に、といった具合に。もちろん素人に演技など土台無理だろう。だからまずプロに演じてもらい、そこに己をスキャンしたデータをかぶせ、さも己が演じているように、感情表現はプロのそれそのままに、顔や声や仕草だけを己のものへと置換する。己以外の配役として他者を設定するには該当の相手の人物スキャンデータが必要で、だから人気俳優らやアバターらのそれは高値で販売されてもいる。もはや一大産業である。さらには脳内で映画よろしくストーリーを再生する標準モードだけでなく、オプションで没入型拡張をすればその世界を丸ごと体感できた。そのストーリーの中へ入り、そこのプロタゴニスト、主人公に、実際になれる。なっているように感じることができる。差分補正と自動行動誘導により俳優が演じたとおりに自然と動き、己で行動選択している味わいで僕の創ったストーリーを生きられるのだ。まるで御伽噺であろう。しかも事前記憶消去つき。すなわちストーリーを知っていても一旦忘れ、またまっさらな状態で物語へ没入できる。 「みなさん、ありがとう。ぜひ協力をお願いしたいんですが、僕は演技の善し悪しはわからないし、数が多すぎて全員に役をお願いできるわけでもありません。だからいつものようにAIに任せて選んでもらいますね。恨みっこなしでお願いします。また選定のときは公開イベントとしてやりますね。って、その前にまだ全然ストーリーが出来てないので、まずはそっちをがんばります!!」 またしても言いっ放しの形で言いたいことだけを一方的に投げ、僕は現実世界へとバーチャルアースから離脱する。向こうの世界では怒濤のごとく歓声があがっていたけれど、現実世界の僕の周りはやはりまったく静かである。 「……さて、また散歩に行くかな」 こんな歳になっても他人から求められるというのは嬉しいもので、なにやら責任感が自然と醸成されてくる。特に締切などないのだけれど、皆が待っているのだからと、ついつい老体に鞭を打ってしまう。あまり無理をすると健康管理AIからまたこっぴどく叱られてしまうかもしれない。けれどそれも時には仕方がないことだ、と割り切れるほどには僕は既に世の中を生きている。 「しっかし、これじゃあまったくどちらが本体で、どちらが分身かわからないな」 内心でつぶやいて、僕はよっこいしょと重たい腰を持ち上げた。窓の外にはまだ白い雪の世界が広がっていた。引越先の連絡はまだ届いていなかった。

「おっと、そっちじゃないぞ? 向こうへ行こう?」 「んっ、どうしてもそっちがいいのか?」 「わかった。じゃあ、道はお前に任せるよ」 白い息を吐き吐き、僕は独り言にしては少し声量大きく話ながら、太陽の高い午後の世界を散歩する。声帯を鍛えるために、あるいはストーリーを呟いているわけではない。レンタルした愛玩犬に向かって声をかけているのだ。犬といっても実際にはロボットなのだけれど、見た目はもちろんのこと、その動きは実に生の犬らしかった。そして、そのように感じられることこそ、僕が偽りなく老いている証拠であった。ロボット犬が登場して以降、生の犬はめっきり減っている。猫もカメもインコも同様、まるで置き換えられていくかのごとく。ゆえに今の子どもたちは、もはやかつて実在したそれに触れたことすらないと聞く。慶や僕のような世代からしたら信じられないことだ。しかし合理的に考えれば、おかしな流れでもなかろう。犬でいえば、愛らしい見た目や甘えてくる仕草、時に言うことを聞かず、また人をからかったような愛嬌のある態度。このような望むべきメリットすべてを与えてくれつつ、さらに糞尿の始末や餌の提供などが不要という手間の面でも経済面でもデメリットが削減されるとあれば、生よりも人工物が選ばれるのも仕方がない。人間とは得てして己のコントロール可能な範囲の不自由を望む生き物だから。 どうにも他者から求められなくなったもの、というのは世から姿を消してしまう宿命なのか。ともあれそうしてすっかり犬といえばロボットのそれを指す世界になっている。派生してリアルでは「今の若い者たちは――」「近年は我慢できる人が減って――」ともっともらしくこじつけられた言説が飛び交うのだけれど、その言葉だけを見れば僕の子どもの頃から何一つ変わっていない。いわゆる「キレる」という暴挙に及ぶのも具体数でいえば老人のほうが若者に勝った。第二第三の少子高齢化が進み、継続している現代、この圧倒的な人口減少社会おいては老人と子どもではそもそもの母数が一桁も二桁も違う。 だから僕として気になる点は別にある。『都合のよいものばかりで周りを固めるから現代人は我慢できなくなっている説』云々さておき、もちろんそれも一理あるのだろうけれど、これの一番の害は忍耐力の低下による社会的な衝突や暴発でなく、さらなる少子化の促進でなかろうか。なにせ子どもとは『思いどおりにならないもの』の最たるもので、だからそれをこそ楽しめない者、己の都合のよいもので周囲を固めようとするもの者からすれば、真っ先に遠ざけるものだろうから。 こうした事態を放ってもおけないのだけれど、僕として特段打てる手もない。しかしそれでも「放ってはおけない?」「それはなぜ?」「そもそもこうした事態、とは?」「放っておくと、どんな未来が?」と自問自答を数回繰り返せば、思考は次第に、そして勝手に前へと転がりはじめる。予測をたてはじめる。これは僕がストーリー設計者だからかもしれない。いわゆる職業病とでも言うのだろうか。 「そうか。そうだな。いつしかロボット犬が犬に取って代わったように、ロボットベイビーばかりとなる。生の子どもが一人もいなくなる。すべて置き換えられてしまう、という世界線にしてもよいかもしれないな。そうして人類が滅亡する、と。うん。なかなかありだな」 短い道のりの伴侶、柴犬仕様の愛玩犬からインスピレーションを得て、僕はおおきな筋道を決定する。細かい点はまた散歩をしながら詰めていけばよい。ともあれ筋が決まったとなれば、ざっといけるところまで書き上げておきたい。初稿を。僕はロボット犬の帰宅ボタンを起動し、散歩はそこで中断、真っ直ぐに施設へ戻る。いつもより少し急いでいる面があるのは否めない。なにせロボロボさんに選定をお願いしているあたしいデバイスへと体内のそれを置き換えたなら、しばらくは使い勝手に四苦八苦するだろうから。そうなる前にあたらしい作品を一つ仕上げてファンのみんなへ提供したい。純粋に期待に応えたいから、という気持ちもおそらくは己としてある。けれどもしかし、きっと、それだけではない。 承認欲求―― 突き詰めればなんであれ、すべてそこに帰結する気がしてしまうのだけれど、僕を動かす源泉もたぶんそれが大きい。忘れられたくない。今の居心地のよいポジションを手放したくない。そうした気持ちは少なからずあるから。でも、だからといって、である。動かぬ善より行動する偽善、などと大それたことを僕は言わないけれど、たとえそれがかりそめの他人のためだろうと己のためだろうと結果としてアクションが同じになるのであれば考えるなど些末なこと。だから僕はコンスタントに作品を創る。待たせすぎず、しかし与えてすぎて飽きさせず。己を保ちつつ、他者の期待に応え、ギリギリのバランスをとる。このあたりはやはりある程度の自制が自然と効くようになった年齢、それほど世に求めすぎない老人だからこそ維持できているのかもしれない。

「人間が絶滅する。いや、人間を人間足らしめるなにか、いわゆる人間性が遷移していく。ヒトから他へ。これは誰が描いたシナリオなのか。果たしてその一端を、あるいはすべてを、この老体の身である僕も、いや僕が、担っているのだろうか?」 小声で呟きながらポチポチとスマホの画面を叩く。文字を書き連ね、もとい置き連ね、文章を構築していく。初稿は既に終え、推敲を重ね、僕のはじめてのSF作品はストーリーとしてはほぼほぼ完成をみていた。だからこそ少し余裕が生まれ、今日はこうしてロボロボさんと待ちあわせている。もちろんバーチャルアース上で。 「牛若ちゃんよ、ようやく完成したってかい?」 「ああ、ロボロボさん。すいません、少し遅れました」 「いやいや、いいよいいよ。この日をずっと待っていたんだから」 ほんの数回のやりとり、しかしそれで僕には十分だった。アバターは紛うことなきロボロボさんだ。NFTで唯一性が確立されているから同系の別ものということはない。それでも、今、球狐の前に立つ四角いロボットは僕の知る彼/彼女でない。 「君は誰かな? 元のロボロボさんはどうしたんだい?」 会話をしながら思考を巡らせる。可能性としては二つ考えられる。旧ロボロボさんが新ロボロボさんへアバターを譲ったか、新ロボロボさんが旧ロボロボさんからアバターを強奪したか。もしや僕とコンタクトするためにロボロボさんが狙われてしまったのだとしたら、まったく謝罪の言葉も見当たらない。 「そりゃあ傲慢だよ、牛若ちゃん」 「傲慢?」 「無意識な傲慢、ってやつ。別にお前のせいで襲われたりはないし、そもそも誰もなにもしていない。俺は俺で、ずっと俺だったんだからな」 ロボロボさんはこれまでとまるで違った気安い態度を示してくる。どこか浮ついた、ウキウキしたような、嬉しさの透けるような、そんな感もある。けれどいやにしっくりくる。もしかしたら本当にこれが彼/彼女の素なのだろうか。だとして、それではなぜ、これまで己を偽っていたのか。困惑する僕を他所に新ロボロボさんが話を進める。 「ところで牛若ちゃん、未だに化石みたいなスマホを使ってるのかい?」 「まあね。あれがないとどうにもストーリー創作が捗らないんだよ」 生体デバイスが普及してからというもの、言うまでもなくスマホは姿を消した。スマホで出来ることは生体デバイスでほとんど出来たから。対してスマホでは出来ず生体デバイスだから出来ることがあるとあっては置き換えられて当たり前というもの。声や文字の必要性が薄れるとともに急速に存在感を失ったスマホを僕はしかしあくまで使っている。絶滅した文章とともに。 「なんでスマホを? 生体デバイスにメモしたりすれば同じじゃないのかい?」 「それが違うんだよね。生体デバイスへの記録はメモでなく記憶だから」 「記憶? ……メモでなく?」 うまく伝えられる自身はないのだけれど、それは僕の中では明確に違った。僕がまだ二十歳くらいであった半世紀より少し前、令和初期の頃のこと。メモといえばスマホやパソコンへの記録だった。あるいは紙へ。ともあれ己以外の某かの外部媒へ情報を保存した。人間の脳というのはおもしろいもので他所へ明確に記録したものは覚えておかなくてよいとの心理が働くらしい。自動的なクリーン機能、メモリの空き容量確保機能。これにてメモをすればそれについての記憶は優先的に消されていく。だからスマホへ記録したものを後から読み返すと、まるで別人の誰かが記したかのように新鮮な刺激を覚えられる。ストーリー設計となればなおさらで、過去のものを見返せば、己で「こんな物語を創作したっけ?」と思うものが多々ある。だからこそよいのだ。だからこそ時間を置いてからあらためて読んでは修正をかけ、品質を向上させられる。これが生体デバイスへの記録となると、脳への記憶に近しく、いつまでも忘れられない。もちろんそれが良い面もあるけれど、僕の創作スタイルにおいてのみいえばデメリットしかなく、だから僕はストーリー設計には必ずスマホを使用した。それが端に好きということもある。それこそ高次の何者かに自動的に行動を誘導されているのかもしれないけれど、そうでなければこれこそ僕個人の趣向だ。あるいはこれもシンプルに慣れているからだけ、なのかもしれないけれど。 「俺にはよくわからないが、ともかくそれでディストピアSFが創れたんなら、まあいい」 「……それで君は本当に誰なんだい?」 「牛若ちゃん、まだわからないのかい?」 「なにが、かな?」 「お前のことをちゃん付けで呼ぶ友達が、むかし、いなかったか? お前にストーリー設計の良さを延々と語ったような」 ふっとそこで一陣の風が吹き抜けた気がした。雷が脊髄に落ちたようでもあった。直感的に理解した。目の前の存在が坊辺慶である、と。しかしそう思ってしまった己をこそ、まったく信じられない。慶はたしかに睡眠死したはずなのだから。 「おっ、わかったみたいだな?」 「本当に慶なのか?」 「まあ、信じられないのも無理はねえな。けどな、見てのとおりだ。俺はここにいる。こうしてバーチャルアースの地に、しっかりと足をつけてな」 混乱がさらなる混乱を生み、もはや天も地も右も左もわからない。僕はただただ呆然とした。視界に映るのは厳つく肩幅の広い男でなく、ロボットのコミカルなアバターだ。それでも急激に懐かしさがこみあげてきて、今がいつなのかが曖昧になる。そもそも慶が他界して、もう何年になるのだろう。まだ施設が老人で溢れていた頃の時代、その時間へ、たちまちタイムスリップさせられる。あのときは慶も僕も確かに同じ場所にいた。 「……慶、なのか? 本当に?」 「嘘か、真か、都市伝説かってか? 本当に決まってるだろう。お前が失敗したときの恥ずかしい過去の話の数々、あれのいくつかをここで披露してやることもできるぞ?」 「そいつは辞めてくれ。その場合、僕も君の恥ずかしい話をバラさなければいけなくなるから。世界へ向けて、ね。僕の今の発信力を侮るべからず。でも出来れば僕は死人に鞭を打つような真似はしたくない」 たちまち快活な笑いがあがる。彼と僕から同時に。そこでなおさら実感がこみあげてくる。僕は今、かつての友達と会話しているのだ。 「しかし最初から慶だったってんなら、なんでずっと他人のフリをしてたんだよ?」 「お前がなかなか引越先を決めないからだろうがよ! いや、違うな。それもあるけど、そうじゃない。お前が影響力をもったからだ。それならせっかくだし、って考えたんだよ。そんでなによりお前がなかなかSFを創らなかったからだっての!」 「どうせなら? なんだ、どうせならって?」 「どうせ人類が滅びるなら、そのシナリオくらい知ってるやつに創ってほしい。そう思うのが人情ってもんじゃねえか? そうは思わねえか? しかし俺らの仲間の中で、それが出来る恵まれた人間は限られている。たとえば、そう。俺だ。まさかまさかの友達が超有名売れっ子ストーリー設計者ってんだからな。もはや奇跡だろう? しいて言えば、同じストーリー設計をやっていた身として、俺自身のシナリオでないってのは複雑な気持ちになるけど、そこはそれ。仕方がない。お前のストーリーのほうがウケてるんだからな」 「僕に世界滅亡のシナリオ……を? せっかくだから?」 「そうだ。だから俺はすぐにお前へ引っ越すように勧誘せず、ここまでじっと待ってたんだ。変に誘導して作風に影響を与えちゃうのも自称ストーリー設計者の俺としては、なんか違うとも思ったわけでな。だから自然に、出来る限り違和感なく、お前が自分で人類の終焉をデザインするよう、あの手この手で誘導をがんばってたんだよ」 「ロボロボさんとして? まったく気づかなかったけど……」 「それを言うなっての! もうな、どっと疲れるわ。俺の苦労はなんだったんだ、って。しっかし本当に待ったんだぞ? お前、なかなかディストピア系とか手を出さないから」 「そういえば慶はそっち系、ずっと好きだったな」 「ああ、そうだ。だからこそ、今、流行りの思想にも共感を覚えてる。積極的に協力し、運動に参加したくなるほどにな」 なにがなんだかわからない、とはまさしくこのことだろう。このしっくりとくる間合い、やりとりの相手は馴染みの慶で間違いない。しかし会話の内容が僕にはとんと理解できない。これがあの慶だというのか。長らく一緒にすごした、あの。 「混乱してるよな? まあ、そうだろう。そう設計されているわけだから。まあ安心しろ。今から俺が一から説明してやる。っていっても別にお前に恩を着せようってつもりはないから安心しろ。そうさな、お前の創るプロタゴニストドラマ風に言えば、俺もそうして役を与えられただけ、ってことだ。ここまで他人のフリをしてお前を誘導するのも、ここで正体の明かして説明をするのも、事前に決められていたとおり、ってな。いわゆるゲームみたいなものなんだよ」 僕の分身たる球狐がどのような仕草をすればよいのかわからず挙動がまったく定まらない。対してさすがに地に足をつけているロボット、ロボロボは抜群の安定感を示し、微動だにしない。そして慶の話を聞いてみれば、まったく信じられない内容であった。 睡眠死とは精神のお引越し。 慶は淀みなくそう言い切った。バーチャルアース上のアバターへ生体センシングさせた己のすべてを反映させ、そのまま肉体との連動を切断、己というものを完全に仮想空間側へ移してしまうこと。これは実質的に二つの意味合いの引越しを同時に行うことになる。リアルな地球からバーチャルな地球への引越し。そして己を留める器の引越し。リアルな肉体からバーチャルなアバターへ。人口減少社会において地球上に残存する人間の数は極めて減っているのが今だ。しかし逆にバーチャルアースの人口は年々増加している。そう、慶は、ロボロボは、話を続けた。 「地球環境的にも人間が減ってきたことで自然が蘇っているところが多い。まあ、そういうことだ。人知れずではあるが既にバーチャルアース側に過半数以上の人間が引っ越してるわけだし、人間はさっさと進化し、そろそろ今の地球から退場すべきなんだよ。人類はあたらしい次元にシフトするべきステップに到達した、ってそんな思想だ。俺もそう思うし、俺たちの仲間はみんなそう考えてる」 「……驚いたな」 「そうか? でも理解できなくもないだろう? 人間がいるから地球は汚れて――」 「いや、そう言うんじゃなくて。慶、お前、地球環境なんて配慮するタイプじゃなかったろうに?」 「おい、それを言うなって!? そこはそれ、だ。バーチャルアースへ引っ越した時の作法として一発目に強制的に勉強させられるんだよ。今や俺はリアルな地球側の環境大臣も真っ青な、環境配慮型の人間なんだぜ?」 「人間……なのか? アバターなのに? まあ、その身体ならゴミはあまり出さなそうには見えるけどな」 「出さないじゃなくて出せない、だけどな。アバターはリアルな地球には干渉できないから。その分、己を維持するために食べることも寝ることも必要不可欠ではないし、リアルな風邪もひかない。食べたり寝たりをしようと思えば出来もするけど、しなくてもいいってわけだ」 「でもウイルスには感染するだろう?」 ウイルス。僕が言及したのはコンピューターを頭に冠するほうのそれだ。咳が出たり熱が出たりでなく、異常行動を起こさせる類の。 「あっ、たしかにな。お前、うまいこと言うな? セキュリティをちゃんとしとかないと、たしかにウイルス感染することはありえる。鼻水は出ないけど」 「そもそもお前のそれ、鼻ってあるのか?」 一拍の間の後、再び笑いがおこる。またしても二人同時に。それにしてもしかし、ほぼ毎日のようにニュースにあがってくる睡眠死した人間たちの情報、あれがすべてバーチャルアースへの引っ越しだったなんて。 「まあそれで、だ。環境教育を受け、そうした知識を身につけると、少しでも早く人間すべてを引越しさせたくなるってわけ。させなきゃいけないと思うようになる、って感じかな」 「バーチャルアース側でお前も勧誘をしてるのか?」 「そんな感じだな。強引なパターンもあるから誘うって言葉が適切かどうかは正直わからないけど」 強引なという言葉には僕は敢えて触れなかった。それよりも気になることが一つあった。 「でも、なんでわかるんだよ?」 「なにがだ?」 「僕が既に引越し済みの人間だったかもしれないだろ? 他の人にしてもそうだ。勧誘すると言っても、その相手をどうやったら選定できるんだ? 引越し済みなのか、そうでないのか?」 「そりゃあ簡単だ。こっち側で地に足がついているか否か、一目瞭然だからな」 「えっ、アバターでわかるの?」 「わかるようにした、が正確だ。現にお前には俺がアバターをプレゼントしただろ? 空に浮いてる球型の狐を」 驚いた。あれは好意からだけでなくラベリングのためのプレゼントだったのか。球狐。『たまぎつね』でなく『きゅうぎつね』と読ませるのは『九尾の狐』の『きゅう』と掛けているものだとばかり思っていた。それもおそらくは間違いでないだろう。しかしそれだけでなく球型を旧型とも掛けていたのか。手足なく、ゆえに地に足つかず、球形でふらふらと宙に浮くアバター。それはそれで可愛らしいのだけれど、それはまだリアルな地球に席を残していることを暗に示す、赤子同然を意味していたらしい。 「……タダより高いものはない、ってことか? この歳になって、あらためて勉強になったよ」 「だろ? まあ、そういうこった」 「それでさ、慶? いよいよ正体を明かしてラスボス登場、みたいにお前が出てきたわけだけど、なにがトリガーだったんだ? ゲームみたいな、っていうんならあったんだろう? なにかが?」 「いや、だからそれは言ったろう? 人気ストーリー設計者のお前に人類滅亡のシナリオを創らせるまで俺は名乗れなかったんだよ」 「その人類滅亡シナリオって、なんなんだって話だよ? 僕の新作SFのことか?」 「ああ、そうか。そう。そういうこと。お前の新作の、ディストピアへ向けて一直線のストーリー。あれだ。サイエンスフィクションでなく、もうすぐサイエンスノンフィクションになるわけだけどな。あれが人類滅亡のシナリオだ。それと、たまたまタイミングがよかったってのもあるな。だからこうして名乗ったってわけさ」 「タイミング? なんの?」 「ちょうど入替時だろ?」 すぐにピンときた。僕は眼前の慶に生体デバイスを見繕ってもらっていた。あたらしいデバイスだといって、おそらくは存在するのだろう引越用ピル、それをしれっと飲まされていたなら、目が覚めた時には引っ越し完了、リアルな側の地球では僕は睡眠死していたかもしれない。 「おいおい、慶? それ、僕に言っちゃってよかったのかよ?」 「友達だしな。それにもうシナリオも完成済み。だからすべてを明かしてもたいして問題はないのさ。なにより一見して他の人たちより選択肢があるように見えて、実はお前もそんなには変わらないぞ?」 「そうなのか? 僕は特別なんじゃなく?」 「だからそりゃあ傲慢だっての。お前は特別だけど、特別じゃないのさ」 「なんだよ、それ?」 重なる笑い声。気安いやりとり。阿吽の呼吸。これがコミュニケーションなのだろう。『WEB3.0』とかなんとか、見知らぬ相手の信用がシステム的に如何に正確に可視化されようと、やはり古い時代の人間である僕には本体の顔が想像できなければ根底ではつながれない。といって、今や慶の本体は既に眼前のアバターへ遷移しており、生の肉体は火葬済みで塵と化しているのだけれど。 「っで、その人類滅亡とかなんとか。僕のシナリオが必要とか、それはどういう意味なんだ? いまいち要領を得ないんだけど?」 「まあ、簡単な話だ。デバイス交換のタイミングで、俺たちは新型デバイスと称して引越用ピルを与え、残存人類を地道に仮想空間の側へ引っ張ってきてるわけだ」 「強引に?」 「そう。強引に。だけどな、これはなかなかに時間がかかる。全人類をバーチャルアースへ移すにはこの方法じゃあダメなんだ。地球環境的にもうそれほど悠長にやってられる時間はない。そこでお前の出番だ」 「僕の?」 「正確にはお前のストーリー設計者としての才能の、だけどな」 プロタゴニストドラマ。ディストピアへ向かう新作ストーリー。その僕が創造した物語の中に生きる無数の登場人物たち、エキストラたち。そこへ残存する人間すべてを、一人一人、配役として割り当て、そのストーリーを現実化することで人類を滅亡させようと言うのか。人類滅亡シナリオというその名のとおり、まさしくに。 「現実の人間を使って、物語を再現……って、そんなこと可能なのか?」 「こうしてアバターとして生きてる俺を見ても、まだ不可能と思うか?」 「……僕の設計したストーリーが地球上に顕現する、だって? 子どもは次第にロボットベイビーに置き換えられていき、そのまま人類はいよいよ人類以外のなにかに置換されていく? 直近五〇年くらいのうちに?」 「そういうこと。まっ、地球上に残った人類は、だけどな。そうなる前に選択肢として、こっち側に引っ越すこともできる。もちろん俺たちはそっちを推奨として提案するつもりだ。だから人類滅亡というか、正確には人類は地球から別の場所へお引越しするってわけだ。民族大移動的な、人類大引越ってやつさ」 「僕のシナリオでってのは、ちょっと荷が重いな」 「心配しなくていい。お前だけのシナリオですべてが完結するわけじゃない。人間には好みがあるからな。世界中の人気ストーリー設計者がこれから同じようにディストピアへと向かう新作をあげてくる。次々と」 「慶たちの仲間の誘導で?」 「そういうこと。お前にみたいにな」 「僕はあまり誘導されなかったけど」 「それを言うなっての! それでまあ、そのどれかのストーリーに没入したなら、そこでそのままってやつだ」 「そうか。まあ僕一人のじゃないっていうんなら少しは気が楽だよ。でもさ、ドラマを見ないような人間は? 僕のだけでなく、他の設計者のも含めて。流行りに疎い、というかさ」 「そんときは一人ぼっちだろうな。そういうわけでお前も選択肢があるようで実はないってわけ」 僕はそこですべてを理解した。全員が引越してしまっては着いていかねば一人になってしまう。それは言うまでもない。すなわち一人でリアルな地球に残るか、みんなと一緒にバーチャルな地球へ引っ越すか。これはそういう話なのだ。 「生存するだけなら今や一人でも可能だ。今のお前もそうだしな。AIとロボットで管理する全自動施設で肉体維持に必要な食事や医療みたいなサービスを受け、令和初期と同様に生きることができる。あるいはどこぞのオールドSFみたいに安楽死カプセルに入って眠るように事切れるまで夢を見るでもいい。そうやってあくまで最後までリアルに残ることもできる。しかし、だ」 「しかし?」 「これから決定的に変わることがある。いよいよ梯子を外されるんだ。ブリッジを壊される、とも表現できる」 「ブリッジを? どういうことだ?」 「バーチャルアースがいよいよリアルな地球から分離するんだよ。もう互いに干渉しあわなくなる」 すなわち地球に残った人間は今のようにオンラインの世界で他の|元人間《・・・》とつながることができなくなる。しかし表面的にはさして変化はないとも言う。だからこそ怖い。リアルに残ったならば今後はそこに生きる存在、そこで対面するアバターの向こうにいる本体が完全に人ではなくなるのだから。AIと呼ばれるような、そうしたものに置き換えられていく。先に引っ越しを済ませている慶らはといえば、リアルな地球とは無縁の、別次元へとバーチャルな地球ごと壮大な引っ越しをするらしい。 「一緒に行くのか、行かないのか。ついでに言えば一人さみしく死んでいく、消えていくのか。はたまた無限の生の中で一緒に生きていくのか。もちろん引越先で死の選択は自由にできる。飽きたし、もういいやってんなら、ゆっくり考えてそれを選ぶのも自由だ。まっ、そんなとこさ」 「……そんなとこ、か」 あまりに壮大な話ながらも差分補正と自動行動誘導でも掛かっているのか、すんなりと理解できてしまう。そして頭の中に問いが浮かび、己の選択として眼前の慶へ問うか問わないかの決断を求められる。これでは人生は選択の連続である、というのも頷ける。迷った末に僕は問いを発することを選ぶ。 「だいたい話はわかったんだけど、そのうえでちょっと聞かせてくれ。慶はさ、本当に慶なのか? 既にお前が置き換えられたAIで、引っ越しなんて、しても、しなくても、僕は、というか人間は、もはや誰しも一人ってことはないのか?」 「それこそ有名どころのSFみたいに、か? 今、既に、実はカプセルの中にいる、みたいな? それはそれで、でも幸せなんじゃないのか?」 「たしかにな。知らないほうがよいこともあるのは納得だよ。そもそも僕だって、この僕が本当に本体なのか? 実はこれは別次元の僕のアバターなのかもしれない、とか考えだしたらキリはないし、証明なんてどこまでいってもできないから。あとはもう割り切りと覚悟ってとこだよね。遅いけどこの歳になるとわかってくるよ。どの世界の、どこの自分を、本体と置くか否か。わかっているのは少なくとも一つはどこかに己を置き、地に足をつき、歯を喰いしばらなければ、世界に存在することはできないってこと。そうだろう?」 なかなかに見栄えのよい、さながら映画のような台詞がすらすらと出てくる。これは僕がストーリー設計を生業としているからこその職業病かもしれない。このシーンではこうするとサマになる、を反射的にやってしまう。この歳になっても意識することなく格好つけてしまうとは人間の承認欲求の深さとは底知れない。僕らはいつまでも本質的にはそれの奴隷なのかもしれない。 「っで、田中九郎義経さんよ?」 「僕は田中九郎だよ。源九郎義経とは無縁さ」 「ではでは、球狐のアバターを操る天才ストーリー設計者の、田中九郎さんよ?」 「白々しい言い方だな、まったく」 「けっきょくお前はどうする? まあ、もう少し時間はあるけど」 「それじゃあ時間ギリギリまで考えさせてもらうとするよ、弁慶さん?」 「俺は坊辺慶だっての! 武蔵坊弁慶とは無縁だよ!!」 互いの笑い声がどっと重なる。気持ちのよいやりとり。真のコミュニケーションとはこういうものだろう。オンライン上で不特定多数といくらコネクトしても得られはしない本物が、今、ここにある。 「……ていうかさ、なんだったんだよ? わけのわからないあの他人のフリは? それも何年も。今さら出てくるんなら最初からさっさと名乗ってくれって」 「だから仕方ないだろう。そういう配役だったんだから。っていうかな、俺だって早く名乗りたかったっての! お前がのろのろしてるからだろうがよ!! 早くディストピア系にいけよ! 何度も誘導したってのにいつまで経ってもファンタジーやら恋愛系やらのストーリーばっかり設計しやがって!!」 「そんなこと言われたって、それこそ仕方ないだろう! 僕はハッピーエンドが好きな性分なんだよ。人類滅亡シナリオの設計なんてな超絶バッドエンドを期待されてるなんて思いもしないし、創りたいとも気まぐれでもなければよっぽど思わないんだから」 二人を取り巻く周辺、そこはもう令和初期の居酒屋だった。青春カムバック。もちろんバーチャルアース上の、球型の狐と二頭身ロボットによるやりとりである。しかしまるで二人ともリアルな地球にいた頃のような、そんな盛り上がり。楽しくて仕方がない。これがずっと続けばよいのに。もはや選択は決まっていた。これでもなお一人を選ぶへそ曲がりなど、はたしてこの世にいるものなのだろうか。僕は、僕らは、そこで己の年齢を忘れ、馬鹿なやりとりを延々と続ける。何度となくした話を蒸し返し、そしてまた同じように笑う。 これは映画なのか、現実か? はたして今はいつなのか? 過去と未来が交差し、いや錯綜し? 集約されての、お引越し? ともあれ僕はもう己の定義すら曖昧だった。 己の責任とはなんなのか? 役割とは? 配役とは? そもそも今の僕は、一体、どこの、誰なのだろう? 「今日未明、老人福祉施設『たいようの丘』で七五歳の男性が睡眠死しているのが発見されました。男性は亡くなる直前、プロタゴニストドラマにて現在人気急上昇中の『Euthanasia Drama』に没入し、天才ストーリー設計者へ己を重ねあわせていた模様です。現場から中継が入っています。呼んでみましょう」