【俺の教訓】3度の無職生活から這い上がった元アダルトチルドレンRIYUの世界観ブログ 〜保育園の話〜

2022.09.16 2021.10.08

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よっしゃあ!今日も最高の一日がやってきたぜ!!

こんにちは!3度の無職生活から這い上がった元アダルトチルドレンRIYUだ!

今回も俺の人生を赤裸々に記す世界観ブログを書いていくぜ!!

前回の記事はここから読めるぜ。

俺は土佐清水市の中浜という町(というか村)で育った。

中浜は高知県の西南に位置していて、東京から出発すると6時間半はかかる。

ちなみに京都から中浜に向かっても新幹線と汽車を乗り継いで四万十から車で旅をすると6時間かかる。

中浜は周りが山であり、交通網は車かバスだ。

しかも食料や物資は土佐清水市内まで行く必要があり、車で峠や海岸を通って20分(飛ばしても15分)かけて買い物に行くのだ。

山道や海岸沿いの綺麗な景色を見たい人、地域の人みんなに尽くすと決めているあなたに田舎暮らしはおすすめだ。

逆に個人主義な人や物や施設の充実さを求めているあなたには田舎暮しはおすすめしない。

かつてジョン万次郎という偉人が存在していた。

中浜区長場には万次郎の石碑が建っているし、中浜の住宅地の中に中浜万次郎の復元された実家が建っている。

ちなみにそのジョン・マン(アメリカ人に呼ばれていたあだ名であり、俺もこの名称が好きで呼んでいる)の実家の近くに俺の親戚の祖母が住んでいる。

当時の遊び場所は中浜小学校の校庭、中浜区長場の前の広場、あと海と山。

俺は本当は東京のような大都会で暮らしたかった。

そこには玩具もロボットアニメも楽しそうなイベント会場も面白そうな人もすべてあると思っていたからだ。

4歳から中浜保育園という保育園に通っていた。

ヒヨコ組、リス組、ゾウ組まであって6歳になったら卒園となる。

保育園の同い年の友達は8人だと思う。

現在中浜保育園は閉業してしまったが、俺の心の中で今でも開園し続けている。

ちなみに保育園の先生について母が話していた。

リス組の先生は風当たりが強くてすごく嫌な先生だったが、ゾウ組からのR先生やN園長先生が赴任してきてから救われたと話している。

俺が卒園してからも母は先生方と一緒に喫茶店や旅行に行くほど仲良くしている。

当時の俺はずっと黙っていて大人しかった。

今振り返ってみると無意識に他人に遠慮したり、本心を隠蔽して生きていた。

周りの同級生や先生にならともかく、俺は親に対しても本心を隠していた。

物心がつく前から人間という概念が抜けている感じがしていた。

本当は元気に遊び回る俺の姿を受け入れてほしかったんだ。

身体が大きかったので特にいじめられることなどはなく、平和な幼稚園時代を過ごしました。

子供って身体が大きいだけで「強いやつ」という評価になりますよね。

幼稚園のときの記憶として覚えているシーンが1つある。

それは足を骨折したことだ。

5歳のときに保育園で竹馬に乗っていて背が高い竹馬から落ちてしまった。

しかも打ちどころが悪くて片方の足の骨が折れてしまった。

保育園の運動会の練習で走っている園児たちを俺は座って眺めていた。

「みんな走ってるなぁ。」だけで済ましていた。

そして順調に回復して今まで通り歩けるようになった。

うまいこと順調に治ったという記憶として残っていたのはラッキーだと思う。

現在も歩けているのは、おそらく親や周りの人が「また歩けるようになる」と俺を信じて励ましてくれたからのだと思う。

もっといえば「俺はまた歩ける」と思い込んでいたのだろう。

今思うとこの気楽なマインドが重要だと気づいた。

一番病んでいた中・高校生の俺だったら「みんなは頑張って走っているのに俺だけ・・・。」という悲観的な思いを抱いていただろう。

実際中学2年で指の骨にひびが入った時にそう思っていた。

つまり幼少の俺のセルフイメージはプラスがまだ強かったということが判明した。

それが年を重ねるごとにマイナス感情が増えていきマイナス思考を考える癖がついてしまったのだ。

他人にとってはこんな大したことがない出来事であっても、覚えている本人にとっては重要な意味がある。

俺の場合は、

「俺はまた歩ける」

「俺はまた友達と遊べる」

ということを「決めた」ということが、足の回復を促進させたんだと解釈でした。

俺の世界観ブログ、今回はここまでだ。

忙しい中訪れたみなさん、俺の記事を読んでくれてどうもありがとう!この記事を読んで共感してくれたり、励みになってくれると嬉しいぜ。

次回は俺の人生の支えになったモノのお話を書く予定だ!また読みに来てね。みんな、今日も一日楽しく過ごしてね♪

次回の話に続く