Be kind (1)

週末にEverything Everywhere All at Onceを観た。 いま、ここに、ともに在ることを、とても尊く感じられる作品だ。 シンプルで何度も聞いたようなメッセージだが、私自身の個人的な体験と相まって、深く心に刺さるものがあった。

ひとつの解釈には、この映画には"Be kind"の精神が流れているという。

"The Only Thing I Do Know Is That We Have To Be Kind. Please, Be Kind. Especially When We Don't Know What's Going On." Waymond Wang Everything Everywhere All at Once

「親切にしよう。」 当たり前すぎて、ほとんど何も言っていないに等しい言葉だが、少しだけ考えさせられるようなエモい話を2つ。

1.10年ほど働いた会社を退職した。送別会を開いてくれ、快く送り出してくれた。送別会に来てくれた人は、みな我々が何を成し遂げたかではなく、ともに経験した心に残る小さな出来事や、私の行動によって彼らがどのように助けられたか、ということを話していた。それは、私がこの10年間手に入れようとして頑張ってきたものとは全く違うのに、この10年間で私が手に入れたいちばん重要なものであるような気がした。これまでにない充足感を得た。

2.退職に伴って家族の引っ越しがあり、娘は友達が1人もいない場所に行くことになった。突然、友達ってどうやって作るのか?と聞かれて、ちゃんとした答えを返せなかった。あるとき、ふと目にした宮台真司の言葉にハッとするものがあった。「友達を作りたければ、困っているやつに手を貸してあげればいい。」気に入られようとして相手の望むことをしたり、共通の趣味を持ったり、そういうことではないんだ。

どちらもBe kindに関係する話だ。

これまではどちらかというと、中途半端な経済合理性を言い訳に、Be kindを諦めるふりをしてきた。しかし、今はそのことがむしろ手に入れたいものから遠ざかる原因だったような気がしている。まったくなんの根拠もないが。

本当は徹底的にBe kindであればいいのだ、ということに直感的に感じている。これは祈りに近いが、共感してくれる人が少しでも増えてくれると嬉しい。何よりも、心のつかえが取れるような気がする。もう無理をしなくてもいいんだ、いちばん気持ちの良いことを衒うことなくすればいい。体裁や世の中の一般的な意見を気にして、自分に嘘をつかなくてもいい。笑う顔が見たくて、無心でやっていた子供の頃を思い出す。

「誰もやっていない斬新なアイデア」に執着して、気の利いたことを言おうとしてきた、ずっと。アイデアを口にして、悦に浸ることはあっても、そのアイデアを実現しようと行動に移すことは少なかった。だって、アイデアを出すことに目的があって、それが達成されているから。 タイラー・ダーデンの言葉を借りるなら、「それでなんか得したか?。」 いや、何もしてない。

何かを成し遂げたひとはこんなことを考えていない、と思う。誰かを救いたい、幸せにしたい、笑わせたい、そんなことを一生懸命考えているうちに、いつの間にか行動して、いつの間にか成し遂げていた、世界はきっとそんなふうにできている、はずだ。

人間は不器用だ。それで起こる悲しいことがいっぱいある。優しくしようと思ってもできないときがある。でも必ずあとで後悔する。自分に嫌悪する。そんなことばかりだ。そんなとき、私はやるよ、徹底的にBe kindだ。そんなふうに言う人が側にいてくれたら。絶対に悪い方向に進むわけがない、まったく根拠のない確信がある。

Be kindを考えると気力が湧いてくる。自分が置かれた状況はどうか?、日本の置かれた状況はどうだ?、正直言ってまったく関係ない。どんな状況でもやるもんはやるんだよ、強い気持ちが湧いてくる。

Be kindはおまじないだ。一番弱っちいようで、実は一番強い。誰かを助けることは、実は自分が助かることだ。

Be kindになると、泣きたくなる。それは、自分の心のどこかが癒やされているからだ。素直な自分になれることが、どこか心の底から安心するからだ。

なんだか拍子抜けするくらい単純な話なんだが、これまで聞いたどんな話より、腑に落ちている。

とはいえ、まだ数日だから、しばらくBe kindについて考えてみよう。