これからの日本の医療環境を考えるとき、どうしても話題は「医療機関の生き残り戦略」に寄りがちです。
人口減少。高齢化。医療人材の不足。診療報酬の制約。外来患者数の伸び悩み。在宅医療の需要増加。医療DXへの対応。
もちろん、それらは現実です。医療機関が地域で診療を続けていくためには、制度の変化を読み、経営を安定させ、人材を確保し、診療体制を整えていく必要があります。
ただ、それだけでは少し寂しい気がします。
医療機関は、ただ生き残るためだけに存在しているわけではありません。
地域の人が安心して暮らし、老い、病み、迷い、支え合いながら生きていくために存在しています。
これからの医療機関に必要なのは、もう少し夢のある構想ではないでしょうか。
これまでの医療機関は、基本的には「具合が悪くなったときに行く場所」でした。
熱が出た。血圧が高い。咳が続く。お腹が痛い。薬が必要。検査を受けたい。専門医に紹介してほしい。
もちろん、その役割はこれからも大切です。
病気を診ることは、医療機関の土台です。
ただ、高齢化が進み、慢性疾患を抱えながら暮らす人が増え、在宅医療や介護、看取り、家族支援の重要性が増していくなかで、医療機関に求められる役割は少しずつ変わってきています。
病気を診るだけでは足りません。
どこで暮らすのか。
誰と暮らすのか。
どこまで治療を受けるのか。
薬をどう整理するのか。
介護をどう受け入れるのか。
家族に何を伝えておくのか。
最期の時間をどのように迎えるのか。
こうした問いは、診察室のなかだけでは完結しません。
医療は、生活のなかにあります。
そして生活は、家族、地域、記憶、文化、言葉、関係性のなかにあります。
だからこそ、これからの医療機関は、病気を診る場所から、人生を支える場所へと広がっていく必要があるのだと思います。
ぼくがいま、ひとつの夢として考えているのは、医療機関を地域の「ケア・コモンズ」にしていくことです。
コモンズとは、みんなで共有し、育てていく場や資源のことです。
医療機関を、単に診療サービスを提供する事業所として見るのではなく、地域の人たちが安心を共有し、知恵を持ち寄り、ケアの文化を育てていく場所として考えてみる。
具合が悪いときに行く場所であり、
暮らしのことを相談できる場所であり、
家族の迷いを持ち込める場所であり、
老いや死について、急がずに話せる場所であり、
地域の人たちがケアについて学び合える場所である。
そうした医療機関のあり方を、ぼくは「ケア・コモンズ」と呼びたいのです。
それは、巨大な施設をつくることではありません。
診療所のなかに、あるいは診療所の周辺に、小さな接点を少しずつ増やしていくことです。
診療の接点。
相談の接点。
学びの接点。
語りの接点。
記録の接点。
人と人がつながる接点。
医療機関が、そうした接点を地域のなかに増やしていく。
それが、これからの地域医療のひとつの可能性だと思います。
ケア・コモンズとしての医療機関を考えるとき、ぼくは6つの役割で整理できると思っています。
診る
支える
つなぐ
語る
集う
残す
この6つです。
まず、診る。
これは医療機関の中心です。外来診療、訪問診療、オンライン診療、予防接種、慢性疾患管理、急な体調不良への対応。症状を評価し、診断し、治療し、必要な医療につなげることは、医療機関としての土台です。
次に、支える。
診断や治療だけではなく、生活の不安を支えます。退院後の暮らし、介護の導入、薬の整理、家族の迷い、ACP、看取りの準備。在宅移行の相談や家族の医療相談など、病気そのものだけではなく、病気とともに続いていく暮らしに伴走します。
そして、つなぐ。
医療はひとつの機関だけでは完結しません。病院、診療所、訪問看護、薬局、ケアマネジャー、介護事業所、専門医、行政、地域活動。それぞれが分断されるのではなく、患者さんと家族を中心につながる必要があります。医療機関は、そのハブになることができます。
さらに、語る。
人は、医学的な情報だけで生きているわけではありません。その人の生活史、好きだったもの、大切にしてきたこと、語られないまま残っている思いがあります。病いの経験、老いの戸惑い、家族の思い、暮らしの記憶を言葉にしていくことも、医療のそばにある大切な営みです。
次に、集う。
孤立は、これからの大きな健康課題です。高齢者だけではありません。介護する家族、医療者、地域でケアに関わる人たちもまた、孤立することがあります。音楽、アート、対話、読書会、小さな講座、ケアに関わる人たちの学びの場。病気や障害があっても、地域の文化から切り離されないための場が必要です。
最後に、残す。
診療録とは別に、地域医療の現場で見えてきたことを言葉にして残す。ケアの実践を記録する。人の生きてきた証を、静かに残す。これは、医療機関が担える新しい文化的な役割だと思います。
この6つの役割を少しずつ育てていくこと。
それが、ぼくの考える「ケア・コモンズ」です。
医療機関がケア・コモンズになるとき、そこに必要なのは大きな施設ではありません。
むしろ、小さな場でよいのだと思います。
人生のことを少し話せる場。
家族の迷いを持ち込める場。
音楽を聴きながら、誰かの記憶を思い出す場。
死別や喪失について、急がずに話せる場。
医療者と地域の人が、同じ問いの前に座る場。
それは、焚き火のようなものかもしれません。
大きな光ではなく、小さなともしび。
強く照らすのではなく、そばにあることで安心できる明かり。
たとえば、
「語らうともしび」では、病いや老いについて語る。
「つづるともしび」では、手紙や記録を残す。
「きくともしび」では、音楽や声を通じて記憶に触れる。
「ゆらぐともしび」では、喪失や不安を抱えたまま集まる。
これらは医療行為ではありません。
しかし、医療のそばにあるからこそ意味を持つ営みです。
治すことだけが、医療の価値ではありません。
治らないもの、変えられないもの、失われていくもののそばにいることも、ケアの大切な役割です。
もうひとつ、ケア・コモンズの中に置きたいものがあります。
それは、人が生きてきた証を残す取り組みです。
在宅医療や看取りの現場では、医学的には大きな出来事ではなくても、忘れがたい場面があります。
好きだった音楽を聴いたとき、指先がほんの少し動いた。
家族の声に、目元がゆるんだ。
昔の仕事の話になると、表情が変わった。
もう多くは語れなくても、その人らしさがふっと立ち上がる瞬間がある。
そうした場面は、診療録には残りにくいものです。
しかし、家族にとっては、かけがえのない記憶になることがあります。
その人の言葉、声、写真、記憶、生活の断片を、短い文章や音声、小さな冊子として残す。
それは「終活」というよりも、人生の編集に近い営みです。
医療者が関わるからこそ、病いも老いも死も、過剰に美化せず、消費せず、静かに扱うことができます。
これは、医療と表現のあいだにある新しい仕事です。
ケア・コモンズは、患者さんや家族のためだけの場所ではありません。
医療者、介護職、音楽家、アーティスト、編集者、地域で活動する人たちが、一緒に学ぶ場所にもなります。
たとえば、
音楽とケア。
アートと認知症。
物語と看取り。
家族支援と対話。
訪問診療と地域文化。
医療者のためのナラティブな記録。
こうしたテーマを、講座や研究会として開いていく。
医療の現場には、まだ言葉になっていない知恵があります。
介護の現場にも、家族の経験にも、地域の活動にも、たくさんの実践知があります。
それらを持ち寄り、学び合い、少しずつ社会に開いていく。
医療機関が、地域のケア文化を育てる学校のような役割を持つこともできるはずです。
ぼくは、医療機関がこうした学びの場を持つことには、大きな意味があると思っています。
なぜなら、ケアは専門職だけのものではないからです。
家族も、友人も、地域の人も、音楽家も、アーティストも、編集者も、それぞれの形でケアに関わることができます。
医療機関は、その接点をつくることができます。
事業拡大という言葉を使うと、分院展開、患者数増加、売上拡大、スタッフ増員といった話になりがちです。
もちろん、それも大切です。
しかし、医療機関にとって本当に大切な拡大とは、規模を大きくすることではないと思います。
支えられる不安を増やすこと。
つなげられる人を増やすこと。
言葉にできる経験を増やすこと。
孤立しない場を増やすこと。
地域に残せる記憶を増やすこと。
そう考えると、医療機関の拡大は、もっと豊かな意味を持ちます。
診察室を増やすことだけが拡大ではありません。
地域のなかに、安心の接点を増やすことも拡大です。
医療機関が大きくなるのではなく、医療機関を中心に、ケアの輪が広がっていく。
そのような拡大の仕方があってもよいのではないでしょうか。
医療機関がこうした活動を始めるとき、避けて通れない問いがあります。
それは、診療報酬で評価されるのか、という問いです。
正直に言えば、すべてが診療報酬で評価されるわけではありません。
むしろ、語ること、集うこと、残すことの多くは、保険診療の枠組みだけでは扱いきれません。
だからこそ、保険診療の外側にある価値を、どう丁寧に設計するかが大切になります。
自由診療の相談。
家族向けの医療相談。
在宅移行の準備。
薬の見直し。
看取りの準備。
講座や研究会。
記録や制作。
地域イベント。
ニュースレターや出版。
これらを、医療と切り離すのではなく、医療の周辺にあるケアの仕事として育てていく。
もちろん、医療行為と非医療行為の線引きは必要です。
過剰な効果をうたわないことも大切です。
個人情報やプライバシーへの配慮も欠かせません。
しかし、そこに慎重であることと、何もしないことは違います。
医療機関だからこそ、静かに、誠実に、過剰に消費しない形で扱える領域があります。
ぼくは、そこにこれからの地域医療の可能性があると思っています。
これからの社会では、病気を完全になくすことはできません。
老いを避けることもできません。
死を遠ざけ続けることもできません。
だからこそ、必要なのは、病気や老いや死をひとりで抱え込まなくてよい場所です。
具合が悪いときに診てもらえる。
家族のことで迷ったときに相談できる。
在宅で暮らすことを一緒に考えてもらえる。
薬や治療について整理してもらえる。
老いや死について、急がずに話せる。
音楽や言葉や記憶を通じて、その人らしさを残せる。
ケアについて学び、語り合い、地域で育てていける。
そんな場所が地域にあったら、少し安心できるのではないかと思います。
医療機関は、病気を治す場所であると同時に、
人が安心して老い、病み、暮らし、語り、つながるための場所にもなれるはずです。
それは、単なる生き残り戦略ではありません。
これからの地域医療が持ちうる、ひとつの夢です。
※この記事はAI共創型コンテンツです。
※この記事は Small Medicine - Substack にも掲載しています。
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医師。2007年からブログ/Xで発信を続けています。2015年に「地域医療ジャーナル」を創刊し、2018年にオンラインコミュニティ「地域医療編集室」を設立。2022年からプラットフォーム「小さな医療」を運営し、エビデンスに基づく地域医療の実践と言葉を届けています。

