2026年2月13日、WHO欧州地域事務局は、EUの支援のもと、芸術・文化を保健医療システムの中により本格的に組み込む取り組みを進めていると発表しました。対象となるのは、アルメニア、アゼルバイジャン、ジョージア、モルドバ、ウクライナの5か国です。WHOは、地域ワークショップを通じて、各国が自国主導で arts and health の実践を広げられるよう支援するとしています。
今回の発表で印象的なのは、芸術や文化が「医療を彩る付加的な活動」としてではなく、回復、レジリエンス、尊厳あるケアを支える資源として位置づけられている点です。WHO/Europeは、欧州の保健医療システムが、高齢化、医療人材不足、トラウマ、社会的孤立、長期的ストレスといった複雑な課題に直面しているとしたうえで、特にメンタルヘルスとウェルビーイングの領域で、芸術・文化の力をより体系的に活かそうとしています。
この取り組みは、EU資金による「Health Resilience in the Eastern Partnership」プログラムの一部として進められています。WHO欧州地域事務局の関連ページでは、このプログラムが3年間の枠組みで進められ、530万ユーロの予算のもと、東方パートナーシップ諸国の医療人材の能力強化とメンタルヘルス体制の強化を支えるものだと説明されています。
記事によれば、2025年後半には上記5か国を対象にワークショップが実施されました。目的は、各国にすでに存在する arts-in-health の実践、関係機関、人材を把握し、保健分野と文化分野のつながりを深め、実際に事業を設計・実装する力を高めることでした。つまり、単発の好事例を紹介して終わるのではなく、国の優先課題に沿った、構造的で持続可能な実装へ移行するための基盤づくりが始まっていると言えます。
WHOの記事では、具体例として、孤立の軽減や社会的つながりの回復を目的とした美術館訪問、パーキンソン病の人のためのダンス、認知症ケアにおける音楽、肺の健康改善をめざす合唱活動などが挙げられています。これらは単なるレクリエーションではなく、身体機能、心理的回復、社会参加、生活の質に関わる実践として理解されています。
こうした動きの背景には、WHO欧州地域事務局が2019年に公表した大規模なスコーピングレビューがあります。この報告書では、3,000件を超える研究をもとに、芸術が健康増進、疾病予防、そして病気の管理・治療に幅広く関与しうることが示されました。今回のニュースは、その蓄積されたエビデンスを、実際の保健医療政策や地域実装へと接続しようとする流れの延長線上にあります。
この発表は、医療とアートの連携を「よい取り組み」として語る段階から、保健医療システムを支える一つの政策資源として位置づけ直す段階へ進みつつあることを示しています。とくに、地域の孤立、慢性疾患、認知症、メンタルヘルス、人材の疲弊といった課題が重なる時代において、芸術や文化を“周辺的なもの”としてではなく、回復と関係性を支える社会的資源として捉えなおす視点は、日本の地域医療や在宅医療にとっても示唆が大きいように思われます。
WHO Regional Office for Europe. WHO/Europe and the EU scale up the integration of arts and culture into health systems. 13 February 2026. https://www.who.int/europe/news/item/13-02-2026-who-europe-and-the-eu-scale-up-the-integration-of-arts-and-culture-into-health-systems
WHO Regional Office for Europe. Partnering with the EU to support health resilience in the Eastern Partnership countries. https://www.who.int/europe/activities/partnering-with-the-eu-to-support-health-resilience-in-the-eastern-partnership-countries
Fancourt D, Finn S. What is the evidence on the role of the arts in improving health and well-being? A scoping review. WHO Regional Office for Europe; 2019. https://www.who.int/europe/publications/i/item/9789289054553
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医師。2007年からブログ/Xで発信を続けています。2015年に「地域医療ジャーナル」を創刊し、2018年にオンラインコミュニティ「地域医療編集室」を設立。2022年からプラットフォーム「小さな医療」を運営し、エビデンスに基づく地域医療の実践と言葉を届けています。


