
最近よく考える。
SNSやストリーミングが始まった頃、誰もが「自由になれる」と感じた。
どんなアーティストも、どんな場所からでも作品を発信できる。
チャンスは平等だと思った。
でも今、その構図はすっかり崩れている。
いまのWeb2の世界では、自由に見えて、実は全てコントロールされてる。
アルゴリズムがすべてを決める世界だから、作品の価値は中身よりも数字に左右される。
何百万回再生されるか、どれだけ滞在時間が長いか。
そこに「音楽そのもの」の良さは関係ない。
SNSでバズらなければ、Spotifyでも埋もれていくわけだ。
だから、アーティストは作品を磨くより、「見せ方」を磨くようになっていく。
作品を作り続けることよりも、順位を狙うようになる。
そして、気付けば音楽が目的じゃなくて手段になっていたりする。
あと、ストリーミングの収益構造も歪んでいる。
1再生あたり$0.003。
100万回再生されたとしても$3000だ。
それに、数字を取るには広告費か話題性がいる。
本人の努力だけではどうしようもない。
アーティストが生き残るためにやるべきことが、「いい曲を書くこと」じゃなく「バズること」になっている。
これっておかしいと思わないか?
しかも、私たちは自分のリスナーを本当の意味で「所有」できない。
フォロワーも再生数も、プラットフォーム側が一時的に貸してくれているだけ。
ルールが変われば、すべてが一瞬で消える。
SNSがアカウントを凍結すれば、築き上げたコミュニティも作品も一瞬で失われる。
すべて「借り物」だ。
Web2の世界は便利だけど、あまりに脆い。
私が最近感じてるのは、もう一度オーディエンスの「所有」を取り戻す流れが起きているということ。
Web2の次はWeb3とかブロックチェーンとか、言葉だけが独り歩きしてるけど、それが正しいとは思っていない。
私は「自分の作品、自分のデータ、自分のファン」を本当の意味で自分の手に取り戻すこと。
それこそが次の時代に必要なものだと思うんだ。
Web3のNFTやDAOの仕組みだって、うまく使えばアーティスト自身が中心に立てる可能性がある。
少なくとも、今の構造よりはずっと健全だ。
特に、Web3を推しているわけではないけれど。
言いたいのは、Web2は確かに便利なツールだったけど、同時に「壁」を作った。
どれだけ頑張っても、アルゴリズムからは抜け出せない。
だから、そろそろアルゴリズムに好かれることをやるという行為そのものを壊していい時期なんじゃないかなと思う。
AI音楽も来て、自信を失っている人も多いとは思うけれど、私としては音楽はもっと自由で良いし、数字じゃなくて、やりたいことをやって、共感でつながれる世界をまた作っても良いんじゃないかなと思う。
実際に私も、もうその方向に舵を切っているし。
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