
🌐 花角県政政策点検――点検されなかった6年間(URL付)
新潟日報が2025年12月に連載した「花角県政政策点検」(全7回予定)は、県内の主要課題を順に取り上げる形式をとっているものの、実際の検証としては事実と印象の混同が目立ち、6年間の政策評価には不十分なまま終わりそうだ。 以下、各回の内容とリンク、そしてフラー社との接近を含めた観点から整理した。
シナリオ通りの結末:GAFAM・外資コンサル・パランティアなどによる分割統治、ニホン支配完了
2011年から行動修正により変容したニホン社会(3)〜2025年、三位一体支配の完成

2026-2-8選挙結果によるニホン支配構造の完成の背景(1)
データ収集・分析、そして行動修正するGAFAM+外資コンサル系の「思惑通り」の結果
<100 subscribers

🌐 花角県政政策点検――点検されなかった6年間(URL付)
新潟日報が2025年12月に連載した「花角県政政策点検」(全7回予定)は、県内の主要課題を順に取り上げる形式をとっているものの、実際の検証としては事実と印象の混同が目立ち、6年間の政策評価には不十分なまま終わりそうだ。 以下、各回の内容とリンク、そしてフラー社との接近を含めた観点から整理した。
シナリオ通りの結末:GAFAM・外資コンサル・パランティアなどによる分割統治、ニホン支配完了
2011年から行動修正により変容したニホン社会(3)〜2025年、三位一体支配の完成

2026-2-8選挙結果によるニホン支配構造の完成の背景(1)
データ収集・分析、そして行動修正するGAFAM+外資コンサル系の「思惑通り」の結果
日本では、未成年の自殺、不登校、希死念慮、家庭内での感情断絶が、もはや例外的な出来事ではなくなっています。
この状況に対して、「心の弱さ」「家庭の問題」「学校への不適応」といった説明が繰り返されてきましたが、それだけで説明できる段階はすでに過ぎています。現在起きているのは、個人の問題ではなく、社会の設計そのものが子どもたちの感情処理能力を圧迫し続けた結果です。
そして、その圧力が最も集中的にかかっている場所が、LINEという通信インフラです。LINEは日本では長らく「無料で便利な連絡手段」として扱われてきました。
しかし、未成年の生活実態を見れば、それはもはや単なるメッセージアプリではありません。学校の連絡、クラスや部活動のやりとり、友人関係、家庭内連絡、保護者同士の連絡網、場合によっては行政からの通知までが、同一のアプリに集約されています。
これはつまり、私的な人間関係、学校という半公的空間、家庭、そして公的連絡が、区別されないまま一つの場所に重なっているということです。このような構造は、大人にとっても息苦しいものですが、感情の整理や距離の取り方がまだ発達途上にある中学生・高校生にとっては、極めて過酷です。
LINEには「一時的に距離を取る」という選択肢がほとんどありません。返事をしないこと、既読をつけないこと、グループに参加しないことは、単なる操作ではなく、「関係性を拒絶した」と受け取られやすい。その結果、常に応答を求められ、感情が追い立てられる状態が続きます。
さらに深刻なのは、LINE上で起きるいじめや排除の多くが、外部からほとんど見えないという点です。少人数のグループ分け、突然のグループ外し、既読無視、言葉を使わない圧力。これらは学校や家庭が把握しにくく、問題が表面化したときには、すでに子どもの内側で孤立と絶望が固定化しているケースが少なくありません。
これは「使い方を教えれば済む問題」ではありません。設計の問題です。対面であれば存在する沈黙や表情、間といった感情の緩衝材が、LINEでは失われ、文字と即時反応だけが残る。謝罪や和解があっても、過去のやりとりはログとして残り続け、感情は更新されにくいまま蓄積されていきます。
この状況をさらに悪化させているのが、日本特有のソフトバンクなどの通信会社とプラットフォームの統合構造です。通信、メッセージ、決済、ニュース、行政DXが特定企業群に集約され、LINEは生活インフラの一部として事実上前提化されています。「使わない」という選択が、現実には許されにくい環境が作られている。
EUやオーストラリアで未成年のSNS規制が議論される際、問題にされるのは子どもの行動管理ではありません。彼らが問うのは、大人社会がどのような情報環境と生活様式を設計し、それを子どもに引き渡しているのかという点です。
GDPR、DSA、DMAの思想では、巨大プラットフォームは「中立な道具」ではなく、社会的影響を及ぼす主体として扱われます。学校や行政が特定の民間アプリを前提に運営されることは、自由な選択を奪う行為として慎重に検討されます。
日本では、こうした議論がほとんど行われてきませんでした。
行政はDXをプラットフォームに依存し、メディアは構造的問題を深掘りせず、結果として責任は常に個人と家庭に戻されてきた。
一方で、親世代自身もまた、スマートフォンとSNS、インフルエンサー的言説に強く拘束され、心理的に余裕を失っています。
家庭の中で子どもの感情を受け止める回路が細り、学校でも同様の余白が失われている。
その結果、子どもは苦しさを言葉にする前に、「言っても意味がない」と学習してしまいます。
この状態が長く続けば、学校や教室、グラウンドで起きうる惨事は、突発的な事件ではなくなります。それは、感情を受け止める場所を社会全体が削り続けた結果として生じる、予測可能な事態です。
だからこそ、今これを言葉にしなければならない。誰かを断罪するためではなく、構造を見直し、被害を未然に防ぐために。
子どもを守るということは、子どもだけを管理することではありません。大人社会の設計そのものを問い直すことです。この問いを先送りにする余裕は、もう残されていません。
#LINE #SNS依存 #スマホ依存 #インフルエンサー依存 #参政党
日本では、未成年の自殺、不登校、希死念慮、家庭内での感情断絶が、もはや例外的な出来事ではなくなっています。
この状況に対して、「心の弱さ」「家庭の問題」「学校への不適応」といった説明が繰り返されてきましたが、それだけで説明できる段階はすでに過ぎています。現在起きているのは、個人の問題ではなく、社会の設計そのものが子どもたちの感情処理能力を圧迫し続けた結果です。
そして、その圧力が最も集中的にかかっている場所が、LINEという通信インフラです。LINEは日本では長らく「無料で便利な連絡手段」として扱われてきました。
しかし、未成年の生活実態を見れば、それはもはや単なるメッセージアプリではありません。学校の連絡、クラスや部活動のやりとり、友人関係、家庭内連絡、保護者同士の連絡網、場合によっては行政からの通知までが、同一のアプリに集約されています。
これはつまり、私的な人間関係、学校という半公的空間、家庭、そして公的連絡が、区別されないまま一つの場所に重なっているということです。このような構造は、大人にとっても息苦しいものですが、感情の整理や距離の取り方がまだ発達途上にある中学生・高校生にとっては、極めて過酷です。
LINEには「一時的に距離を取る」という選択肢がほとんどありません。返事をしないこと、既読をつけないこと、グループに参加しないことは、単なる操作ではなく、「関係性を拒絶した」と受け取られやすい。その結果、常に応答を求められ、感情が追い立てられる状態が続きます。
さらに深刻なのは、LINE上で起きるいじめや排除の多くが、外部からほとんど見えないという点です。少人数のグループ分け、突然のグループ外し、既読無視、言葉を使わない圧力。これらは学校や家庭が把握しにくく、問題が表面化したときには、すでに子どもの内側で孤立と絶望が固定化しているケースが少なくありません。
これは「使い方を教えれば済む問題」ではありません。設計の問題です。対面であれば存在する沈黙や表情、間といった感情の緩衝材が、LINEでは失われ、文字と即時反応だけが残る。謝罪や和解があっても、過去のやりとりはログとして残り続け、感情は更新されにくいまま蓄積されていきます。
この状況をさらに悪化させているのが、日本特有のソフトバンクなどの通信会社とプラットフォームの統合構造です。通信、メッセージ、決済、ニュース、行政DXが特定企業群に集約され、LINEは生活インフラの一部として事実上前提化されています。「使わない」という選択が、現実には許されにくい環境が作られている。
EUやオーストラリアで未成年のSNS規制が議論される際、問題にされるのは子どもの行動管理ではありません。彼らが問うのは、大人社会がどのような情報環境と生活様式を設計し、それを子どもに引き渡しているのかという点です。
GDPR、DSA、DMAの思想では、巨大プラットフォームは「中立な道具」ではなく、社会的影響を及ぼす主体として扱われます。学校や行政が特定の民間アプリを前提に運営されることは、自由な選択を奪う行為として慎重に検討されます。
日本では、こうした議論がほとんど行われてきませんでした。
行政はDXをプラットフォームに依存し、メディアは構造的問題を深掘りせず、結果として責任は常に個人と家庭に戻されてきた。
一方で、親世代自身もまた、スマートフォンとSNS、インフルエンサー的言説に強く拘束され、心理的に余裕を失っています。
家庭の中で子どもの感情を受け止める回路が細り、学校でも同様の余白が失われている。
その結果、子どもは苦しさを言葉にする前に、「言っても意味がない」と学習してしまいます。
この状態が長く続けば、学校や教室、グラウンドで起きうる惨事は、突発的な事件ではなくなります。それは、感情を受け止める場所を社会全体が削り続けた結果として生じる、予測可能な事態です。
だからこそ、今これを言葉にしなければならない。誰かを断罪するためではなく、構造を見直し、被害を未然に防ぐために。
子どもを守るということは、子どもだけを管理することではありません。大人社会の設計そのものを問い直すことです。この問いを先送りにする余裕は、もう残されていません。
#LINE #SNS依存 #スマホ依存 #インフルエンサー依存 #参政党
Share Dialog
Share Dialog
No comments yet