
Causticの作者が、突然Redditに帰ってきた。もう二度と更新されない「伝説のスマホDAW」のはずだったその背後から、開発者本人が出てきて、静かに事情を語り始めた。
2025年9月、「Caustic Dev AMA」というスレッドがr/Caustic3に立った。新しいアカウントから「Rej here.」と始まるその投稿は、長らく音信不通だったCausticの作者による、突然の"生存報告"だった。
もう更新は止まった。
Playストアからもアプリは消えた。
公式サイトも消え、フォーラムも閉鎖された。
だからこそ、「本物の作者が、コミュニティの前に帰ってきた」という出来事は、多くのユーザーを驚かせた。そしてスレッドの中でRejは、Causticが止まった理由、Google Playから撤退した経緯、オープンソースにしない理由、そして「完全には諦めていない」という揺れまで、かなり率直に語っている。
Rejはまず、「3.2以降もまったく何もしていないわけではない」と認める。3.2のあとも、次のバージョンに向けたコードはいくつも触ってきたし、最近は64bit版もコンパイルできたと追記している。
それでも、正式な新バージョンを出してこなかった理由として、彼はこんなことを挙げている。
3.2の開発には1年以上かかったのに、売上はほとんど増えなかった。すでに「欲しい人には行き渡っていた」状態で、ビジネスとしての伸びしろはほぼなかった。
海賊版が主流になり、実際には購入履歴のないユーザーからのサポート依頼メールが大量に届いた。「盗んでいるくせにサポートを要求される」理不尽さが、精神的にかなり堪えたことも正直に書いている。
情熱はあっても、ビジネスとしての見返りはほぼない。しかも、ユーザー数が増えたことで、「機能リクエストの嵐」「互いに矛盾する期待」を一人で受け止める状況になっていく。
"I felt I needed to please everyone, but never could."
(みんなを満足させないといけない気がしていたけど、どうやっても無理だった)
この一文には、インディー開発者の「規模が大きくなった副作用」が凝縮されている。
さらに彼を追い詰めたのが、GoogleとAndroidの"構造的な変化"だった。
古い「Single Cell Software」名義の開発者アカウントが、「法人情報の整備」の流れの中でややこしい移行手続きを求められた。新アカウントを自分名義で作り直し、アプリを全部リネームして、権利を移管して、また元の名前に戻して...という、信じがたい手順を要求される。
その時点での収益は月40ドル程度。何往復もサポートとやり取りし、面倒な移管作業をしてまで維持する価値を見いだせず、アカウントを削除する決断をした。
技術面でも、Androidのストレージ仕様変更やSDKのアップデートが、古いアプリに大規模な書き換えを強要する。かつて「自由でオープン」と宣伝されていたファイルアクセスは、少しずつ制限され、Causticのようなアプリは"大手の都合"に翻弄される立場に追いやられた。
その結果として、
「もうGoogleと付き合ってまで続ける意味はない」
というラインを、ある日Rejは静かに跨いでしまったのだと思う。
もう一つ、彼が正直に語っていたのがコミュニティ運営の疲弊だ。
Causticの公式フォーラムは、初期にはコラボやプリセットの共有、互いのトラックへのフィードバックなどが行き交う、とても温かい場所だったという。しかし年月が経つにつれ、ハッキング、荒らし、ユーザー同士の喧嘩などが増え、「冷たくて嫌な空気」の場所になってしまった。
Rejは「自分はモデレーターでもなく、ウェブ開発者でもない」と言う。それでも、攻撃からコミュニティを守る役割を、一人の個人として引き受けざるを得ない状態が続いた。
これは、音楽の世界でも見覚えのある光景だ。フォロワーが増えるほど、
理不尽なクレーム
嫌がらせのメッセージ
「これをしてくれ」「あれをしてくれ」という一方的な要求
が混ざってくる。
自分も、ブログへの嫌がらせメールや、ビートへの心ない批判メッセージを受け取ったことがある。一人ひとりに向き合おうとするほど、規模が大きくなったときの「人の多さ」が、じわじわと重荷になってくる感覚は、とても他人事ではない。
ユーザーからは当然のように、「じゃあオープンソースにしてくれないか」という質問も飛んだ。それに対してRejは、かなり感情のこもった形で「NO」に近い回答をしている。
これは自分の何千時間もの喜びと苦しみの結晶で、タダで渡したくない
誰かに「その義務がある」と言われることに、強い違和感と怒りを覚える
しかも、コードは最適化と工夫の塊で、他人が見たら「汚い」と笑われるようなものだろう、と自嘲気味に語る
特に印象的なのは、彼がパフォーマンス最適化を「パズルを解くような喜び」と表現している点だ。その喜びのために、あえてベストプラクティスを外し、CPUを60%使っていた処理を数%にまで削る工夫を積み重ねてきた。
その過程は、他の開発者が自分の頭で苦労して辿り着くべきものであって、「答えだけ」を渡すのは違う、そう感じているのだろう。
この態度は、音楽制作にも通じる。
苦労して作ったビートのプロジェクトファイルを、全部テンプレとして配るか
完成した音源だけを世に出し、「どう作るか」の部分は自分の領域として守るか
どこまで公開し、どこから先を「自分だけの汗と涙」にするかは、それぞれのクリエイターの線引きだ。
それでもRejは、最初の質問にこう答える。
Q: "Will there ever be a Caustic 3.3, 4, 5, etc?"
A: Maybe, but don't count on it.
(もしかしたら。でも、期待はしないでほしい)
完全な「No」ではない。
でも、「Yes」とも言わない。
3.2以降も少しずつコードに触れてきたこと、64bit版のビルドに成功したことを明かしながらも、「今さら大きなアップデートを出しても期待値に追いつけないかもしれない」というプレッシャーも語る。
個人的には、この「揺れ」がとても人間らしくて、同時に痛ましい。
自分自身も、
一度「フリーBGMの世界」から距離を取ったり
RouteNoteから全削除したり
昔のBandcampやSoundCloudアカウントを、フォロワーごと消してしまったり
何度も「終わらせる」選択をしてきた。
にもかかわらず、完全に音楽を諦めたわけではない。Faircampで自前カタログを作ったり、新しい配信やライセンスの形を試したり、「別の形なら続けられるかもしれない」と模索する自分がいる。
Rejの「Maybe, but don't count on it.」は、自分の中にもある「たぶんやらない。でも、完全に諦めたと言い切るのは嘘になる」という感覚に、とても近い。
AMAの中でRejは、「Saving Caustic」プロジェクトについても触れている。これは、Causticの精神を受け継ぐ新しいDAWを作ろうとするコミュニティ主導の試みで、彼はこれに対して「クールだと思うし、成功してほしい」と前向きなコメントをしている。
ただし、ひとつだけはっきりとお願いしている。
「Caustic」という名前や、そのシンセ名をそのまま使わないでほしい
自分もReason / ReBirthに影響を受けてCausticを作ったが、ブランド名は使わなかったし、ずっと自分の名前を積み上げてきた
新しいソフトは新しい名前でやってほしい
誰かの作品に影響を受けて、自分なりのものを作ること。そして、自分の作品・自分の名前を守りたいと思うこと。
この二つは矛盾しない。音楽の世界でも、
○○ type beatを作りつつ、自分の名義で出す
尊敬しているアーティストのイズムを取り入れつつ、コピーではなく自分の作品として出す
ということは日常的に行われている。
Causticの作者が、自分のブランド名を守ろうとすることに、強欲さは感じない。
むしろ、「たった一人でここまで積み上げてきた"看板"を、別の誰かの都合だけで混同されたくない」という、ささやかな尊厳の表明だと思う。
AMA の最後で、Rejはこんなことを書いている。
"It sucks that I read way more positive stuff about my app now that it's gone than I ever did when it was around…"
(アプリが存在していた頃より、消えた今のほうが、ずっと多くのポジティブな言葉を目にするっていうのが、なんともやるせない)
これもまた、創作の世界ではよく起こる現象だ。
無料で配布しているときには、当たり前のように使われるだけ
サービスが終わってから、「あれが自分の人生を変えてくれた」と言われる
でも、それはきっと仕方のないことでもある。
そこに"当たり前に存在している"あいだは、そのありがたさには気づきにくい
失われてから、はじめてその価値に気づく
人間の感性のクセと言ってしまえばそれまでだけれど、作った側からすれば、どうしても胸が痛むポイントだ。
Causticは、もう公式には配布されていない。Google Play にもいないし、新しいバージョンが出る保証もない。
それでも、
Windows版は今も動く環境がある
有志が保存・再配布を模索している
Saving Causticのような後継プロジェクトも動き始めている
そして何より、作者本人がAMAで顔を出して、
自分の言葉で、やめた理由と今の気持ちを説明してくれた
オープンソースや名称利用について、はっきり自分のスタンスを示した
「Maybe, but don't count on it.」と言いつつも、「完全に諦めた」とは言わなかった
という事実は、Causticというソフトウェアが、まだどこかで"生きている"ことを示しているように思う。
このAMAを読んで、自分が真っ先に思い出したのは、過去に勢いで消してしまった自分の音楽アカウントたちだった。消してしまったものは、もう元の形では戻らない。それでも、「別の形ならまだ続けられるかもしれない」と思う余地は、いつだってどこかに残っている。
Causticの作者がRedditに現れて、コミュニティに向けて静かに語った一連の言葉は、
インディー開発者
インディー音楽家
小さく何かを作り続けている人
みんなにとって、「どこで線を引くか」「どこまで守るか」「どこまで開くか」を考え直すきっかけになる出来事だと思う。
そして、もしあなたがCausticに何かをもらったことがあるなら、今さらでいいので、どこかでRejに届く形で、「あのアプリが自分の音楽を変えてくれた」と一言残しておいてほしい。それはきっと、「消えてから届く感謝」の、少しだけ優しいバージョンになるはずだから。
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