
YouTubeを「クリエイター経済」として捉えたときに、静かに末期っぽい空気が漂い始めている。ここで言う「崩壊」はサービス終了ではなく、「YouTubeで食べていく」というモデルだけが先に死んでいく、という意味だ。
多くの人が「YouTube崩壊」と聞いてイメージするのは、サービス終了やユーザー数激減といった、わかりやすい終わり方だと思う。だが現実的なのはそれとは別のタイプの崩壊で、YouTube自体は巨大インフラとして残り続ける一方、「YouTubeで食べて暮らす」という人生設計だけが持たなくなっていく、というパターンだ。
この視点に立つと、「クリエイター経済としてのYouTubeは崩壊に向かっている」という感覚は、かなり的を射ているように見える。崩壊するのはプラットフォームそのものではなく、「そこに人生を預けられる」という前提のほうだからだ。
今のYouTubeで一番厳しいのは、おそらく「中間層」と呼べるクリエイターたちだ。トップ数%はブランド案件や外部ビジネスで生き残り、趣味レベルの層はそもそも生活を賭けていないが、その間にいる「そこそこ数字はあるが、生活を安定させるには足りない層」がどんどん押しつぶされている。
クリエイター経済が機能するための最低条件は、「時間と労力をかけて高品質なものを作れば、ある程度は報われるはずだ」という期待が共有されていることだ。しかし、アルゴリズムと収益条件が頻繁に変動し、「昨日までの正解」がすぐ陳腐化していく状況では、この前提が崩れざるを得ない。
いまのYouTubeでは、長尺で手間をかけた動画よりも、量産ショートや刺激的なタイトル・サムネのほうが伸びやすい傾向が強まっている。さらに、誤BANやAIモデレーションの不透明さによって、「ある日突然チャンネルごと消える」リスクが、無視できないレベルまで上がってきた。
こうなると、真面目に時間をかけて1本ずつ作る意味がどんどん薄れていく。「どうせアルゴリズム次第で飛ぶなら、そこまで本気を出さなくてもいいか」と考えるクリエイターが増えるのは、ごく自然な反応だ。その結果として、本気の長尺コンテンツへの投資は減り、テンプレ・量産・AI補助前提のコンテンツが増え、「とりあえず再生されればいい」動画がタイムラインを占めていく。
このとき効いてくるのが、AIと「スロップ(粗悪な大量生成コンテンツ)」の問題だ。ここで言うAIスロップとは、AIなどを使って、とにかく量と再生時間だけを狙って大量生成された、内容の薄いテンプレ動画群のことだ。
高品質な人間コンテンツの供給が減れば、その隙間を埋めるようにAIスロップが増えていく。似たような解説動画、似たようなまとめ、似たようなBGM、どこかで見たようなサムネと構成と喋り方…。視聴者からすると、「どれを開いても同じ味」になっていき、次第にこう感じ始める。
欲しい情報にたどり着くまでのノイズが増えすぎる
信頼できるチャンネルを見つけるコストが上がる
「どうせAIやテンプレ動画でしょ」という諦めが先に来る
その結果、視聴時間は他のプラットフォームやメディア(TikTok、配信サービス、ゲーム、コミュニティ空間など)に流れやすくなる。つまり、
クリエイターが報われず、本気コンテンツが減る
それをAIスロップが埋める
体験価値が落ち、ユーザーが離れる
さらに収益が悪化し、クリエイターが離脱する
という負のフィードバックループが、静かに回り始めている。
では、このループの末に、YouTubeそのものは本当に「終わる」のだろうか。おそらく答えはNOに近い。
YouTubeはすでに、単なる「クリエイター向け動画サイト」ではなくなっている。テレビ局、映画会社、音楽レーベル、スポーツリーグ、教育機関、ニュースメディア、大企業の広告など、既存産業と深く結びついた「動画インフラ」になっているからだ。
この構造がある限り、YouTube本体は次のような形で延命を続ける可能性が高い。
広告主と大企業には、安全でブランドフレンドリーな枠を維持する
大手パートナー向けには、手厚いサポートと安定した露出を用意する
一般クリエイターには、AIモデレーションと新ルールを押し付けてコストを下げる
不満が出たら、「透明性」「改善」「新ツール」の名目で小さなパッチを当て続ける
こうして、「個人クリエイター経済の崩壊」と「プラットフォームの延命」は、十分に同時進行し得る。クリエイターから見ると末期的でも、YouTube側から見れば「ビジネスモデルの微調整」にすぎない、という景色になりかねない。
では、クリエイター側はどう考えればいいのか。ここで重要になるのが、YouTubeを「本丸」ではなく「入り口」に格下げしてしまう発想だ。
収入の柱は、自前サイト・メールリスト・コミュニティ・少額サポートなど、プラットフォーム外に作る
YouTubeは「見つけてもらう場所」「作品の一部を置いておくショーウィンドウ」と割り切る
アルゴリズムと規約がどう変わっても、大事なストックは自分の管理下に置いておく
ここで役立つ比喩が、「賃貸」と「持ち家」だ。YouTubeのチャンネルやフォロワーは、いつオーナー(プラットフォーム)の都合で条件が変わってもおかしくない「賃貸物件」であり、自前サイトやメールリスト、独自コミュニティは、自分が所有する「持ち家」に近い。
では、その「持ち家」として何を用意すべきか。最低限として、次のような土台は検討する価値がある。
自分のドメインを持ったサイト(作品アーカイブ、連絡先、プロフィールを集約)
シンプルなメールリスト(新作、イベント、限定コンテンツのお知らせ用)
小規模でも良いので、少額サポートかメンバーシップの仕組み
ここで重要なのは、「フォロワー数」ではなく「連絡手段」と「関係性」を、自分側のインフラに移していくことだ。YouTubeでバズを狙うこと自体をやめる必要はないが、「バズっても、最終的には自分の持ち家に連れてくる」というルートを常に意識しておく。
クリエイター経済としてのYouTubeは、たしかに崩壊方向に向かっているかもしれない。だが、それは「もうYouTubeを一切使うな」という意味ではない。
重要なのは、「どこに依存するか」を入れ替えることだ。YouTubeは、いつ規約やAIの気分で地面が抜けてもおかしくない「賃貸物件」だと理解しつつ、自分の作品と関係性を置くべき「持ち家」を、時間をかけてでも別に用意しておく。
そう考えると、クリエイター経済の崩壊は、「夢が壊れた」という話ではなく、「自分の土台を作り直せ」という強制イベントだとも言える。YouTubeという巨大な街の中で暮らすのではなく、その街から人を招き入れる「自分の小さなスタジオ」をどう作るか。それが、これからの時代のクリエイターにとって、一番リアルなテーマになっていく。
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